2016年1月に制覇済みの可部線(山陽本線横川駅から可部駅までの14km)が2017年3月にあき亀山駅まで1.6km延伸されたということで乗りに出かけたものの、電化区間にピカピカの電車ではローカル線愛好者としては楽しめませんでした。以下はその他の動画です。
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六日目、最終日は八代から肥薩線で人吉、接続列車を待つ間に三セクくま川鉄道の湯前まで往復、再び肥薩線で吉松、吉松から初乗りの吉都線で都城、日豊本線で鹿児島へ移動して、鹿児島空港から羽田に戻る予定でしたが、台風21号の動きが気になり、車窓を楽しむよりも関東地方の天気予報を見るのに忙しい一日でした。
午後になってANAからメールが届き、鹿児島空港19時25分発が飛べるかどうかの天候調査結果が出るのは18時40分とのことで、国分で電車を降り、乗り合いバスで空港に行って待つこと暫し。結果は「羽田の天候次第では名古屋に着陸」との条件付き運航となったので、名古屋に着陸した場合の名古屋以遠の交通費はどうなるかカウンターで聞いたところ「自己負担」とのつれない回答でしたが、朝から調べていた横浜の天気予報では、雨は殆ど降らず、風速は10m少々とのことだったので、羽田着陸は問題無かろうと搭乗、無事に帰ってくることができました。
さて、これにて慌ただしい六日間が終わったものの、初日に小野田線の支線に乗れなかったこと、日田彦山線、筑豊本線、豊肥本線の3か所で代行バスだったことから、いずれの日にか再挑戦しなくてはなりません。三日目に書いたとおり、次回からは「旧国鉄、JRで現在三セクとなった路線も含めて制覇する」と目標を拡げ、先ずは対象路線の一覧表をExcelで作りますが、これにて残り少なくなった「鉄道による暇つぶし」のネタを増やすことができます。ルンルン。
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五日目朝一番、大分駅からバスで高崎山まで出かけたものの「猿は現在0匹。昨日も出てきたのは15時過ぎ」とのことで仕方無く大分駅に戻り、1時間待って豊肥本線で豊後竹田まで。3時間近い待ち時間に駅前で唐揚げ定食。殆どの客が唐揚げを食べていて、このあたりは鶏好きが多いと見えます。
その後、喫茶店のケーキとコーヒーで満腹となり、列車で到着した宮地から立派な代行バス(写真)で肥後大津、列車で熊本、更には鹿児島本線で八代へ。
それにしても今回の旅は代行バスが多い。豊肥本線の宮地、肥後大津間の場合は、2016年の熊本地震の被害から回復できずにいて、暫くはバス代行が続くようです。久大本線のように早い復旧を祈ります。
さて、列車の中で、ANAから明日の鹿児島空港からの便は台風のため飛ばないかもしれないとのメールが届き、どうしたものか。大雨ならどうにかして鹿児島までたどり着き翌日飛ぶ、小雨なら予定どおり吉都線を制覇して鹿児島泊、あたりでしょうか。いずれにしても、帰宅は一日遅れとなる可能性が高そうです。
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四日目は鳥栖を出て、去る7月14日に復旧した久大本線で大分に至る予定でしたが、二日目に取り逃がした日田彦山線の田川後藤寺、夜明間が気になって予定を変更。夜明から代行バスで添田、更に列車で田川後藤寺へ。2時間後の戻りの列車を待つ間に駅近くの蕎麦屋で美味しい天ざるを食べて夜明に戻りました。これぞ完璧な暇潰し。
さて、初乗りの久大本線では、昨年の九州北部豪雨で花月川橋梁が流失(写真)。廃線の可能性が噂される路線がある中、JR 九州としては久大本線を1年かけて復旧させた訳ですが、その理由は特急列車にあると感じました。普通列車は1〜2輌でガラガラですが、3〜5輌編成の「ゆふ」と「ゆふいんの森」が1日6往復走っていて、途中ですれ違った特急列車はいずれもほぼ満員でした。大自然と快適な列車の組合せによる集客力が復旧の原動力と思います。
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三日目は博多から筑肥線の未乗区間である山本、伊万里間を制覇、いい機会なので伊万里から三セクの松浦鉄道(旧松浦線)を2時間半かけて松浦経由佐世保まで、更に有田から伊万里までを往復して全線制覇、最後は佐世保線、長崎本線と乗り継いで、久保田駅手前では2年半前に乗った 唐津線が左手から近づいてくる様子を懐かしく眺めつつ鳥栖まで。
三日目の特記事項はやはり松浦鉄道でしょうか。有田方は陶磁器運搬のために明治時代に、佐世保方は石炭輸送のために大正時代にそれぞれ開業し、戦時中に全通の歴史を持ち、1988年に三セク化されました。
筑肥線と松浦鉄道の線路は伊万里駅で昔は当然のことながらつながっていましたが、2002年に切り離されて両駅の間には片側2車線の道路が横たわっています。一方、有田駅では改札とホームを共有するなど、松浦鉄道はJRと硬軟織りまぜた付き合いをしているようです。
さてさて、JR路線の制覇が近づいている高齢者としては、旧JR で現三セクの路線も制覇対象に広げようかと考えています。ルンルン。
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二日目は下関からあちらこちらへと乗り継いで最後は博多。先ずは日豊本線の城野から日田彦山線で田川後藤寺、後藤寺線で新飯塚、筑豊本線で原田、鹿児島本線で吉塚まで北上して篠栗線で再び桂川(けいせん)、筑豊本線で若松、折り返して香椎、香椎線で西戸崎、戻って宇美、最後は篠栗線で博多と合計284.1km。
日田彦山線については田川後藤寺以遠も体験したかったのですが、昨年7月の九州北部豪雨で被災し不通となっている添田(福岡県添田町)、夜明(大分県日田市)間(29.2km、写真は大行司駅付近)を、JR 九州はバス高速輸送システム(BRT)へ転換することを検討しているそうで(2018年8月28日付毎日新聞)、東北の気仙沼線、大船渡線のように、乗り鉄にとっては楽しみの少ない路線になってしまうかもしれません。
加えて、筑豊本線の桂川、原田間の非電化区間にも、今年7月の豪雨で道床が流されレールが宙ぶらりんの場所があり、依然としてバス代行中。輸送密度が小さい区間だろうし、立派な道路が並走していることもあり、BRT化ではなく廃線となる可能性もありそうです。
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九州散策と謳っていますが、初日は羽田から広島に飛んで可部線の延伸部分、宮島航路、小野田線と未乗区間を制覇しながら下関までの予定でした。
「でした」としたのは、人生には雨の日もあって、山陽本線岩国駅を過ぎて間もなくの踏切で緊急信号が発せられたと約15分停車。更には柳井駅から下松駅までの代行バスに遅れが出て、宇部線居能駅から小野田駅までの小野田線本線11.6kmには乗れたものの、雀田駅から長門本山駅までの支線2.3km最終電車には間に合わず。なにせ、長門本山駅発着は1日3本、終電が18時37分なんです。
という訳で、初日の特記事項に書きたかった「中国地方完乗」は叶わず。JR完乗を目指す高齢者としては、いつ、どんなルートで1000km彼方の小野田線を再訪するのか考えなくてはなりません。暇潰し的には好材料ですが、気持的にはトホホです。
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8月末から6日間の乗り鉄の旅、今回は2017年3月に続く九州。広島まで飛んで、あき亀山まで延伸された可部線、JR唯一の航路である宮島連絡船、小野田線を制覇しながら九州に入り、今回で中国と九州のJR完乗かと思われたのですが、被災中の以下路線の一部がバス代行となり、「第3回」がいずれ必要となります。
・ 豊肥本線 宮地 - 肥後大津間:2016年4月の熊本地震で被災、現時点ではバス代行
・ 久大本線:2017年7月九州北部豪雨での橋梁流失を乗り越え2018年7月14日に全線復旧
・ 日田彦山線 添田 - 夜明間:同上豪雨で被災、現時点ではバス代行
・ 筑豊本線 桂川 - 原田間:2018年7月豪雨で被災、現時点ではバス代行
九州での初乗りは北から順に、日田彦山線、後藤寺線、筑豊本線、篠栗線、香椎線、筑肥線の山本 - 伊万里間、久大本線、筑肥本線の大分 - 阿蘇間、吉都線。この機会に三セクの松浦鉄道、くま川鉄道にも挑戦してきます。
なお、JR九州の社長は、盛土流失やトンネルへの土砂流入など63か所で被害を受けた赤字ローカル線日田彦山線について、「今回のような大きな災害があった場合、ゼロから鉄道を造るようなもの。今の客数で鉄道、バス、タクシー、どれが良いのかといった議論が始まると思う」との見解を示したそうなので、添田 - 夜明間は廃線となる可能性もあります。
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