戸塚宿江戸方見附寄りにある王子神社本殿の下には護良(もりよし/もりなが)親王の首が葬られたそうで、近くには首洗いの井戸もありました。
拝殿の鈴緒には「建武中興670年」とあり、護良親王が父親である後醍醐天皇、足利尊氏、新田義貞などと共に決起し鎌倉幕府を倒した建武中興が1333年なので、この鈴は1333+670=2003年に奉納されたことになります。
ただ帰宅してからWikiを見てみると、王子神社の名前は見当たりません。永い歴史の中で有名人の名前を拝借するのは多分どこの名所旧跡でも行われてきたのでしょうが、この鈴緒の表示からは、伝承の正統性を少しでも強調したいという心意気を感じますね。
生憎の雨の中、神奈川東海道ウォークガイドの会主催の戸塚宿歩きに参加しました。
集合場所の横須賀線東戸塚駅から東へショッピング街を抜け環状二号線を渡ったところの丘の上に道幅の狭い旧東海道が続いていましたが、驚いたことに住宅の間には写真のような果樹園があちこちに。
東戸塚駅周辺は1980年ごろ新駅ともども開発されたそうで、それまでは山の中だったようです。昭和初期の写真では東海道沿いに古い家屋がそのまま残っていて、現在のようなコンクリートジャングルは戦後の国土改造の結果ですね。100年前に戻って東海道の風情を味わいながら歩きたいものです。
東海道の宿場街を歩く会、3月の箱根宿以来の参加です。今回は夏季開催ということで、保土ヶ谷宿を午前中だけの散策でした。
現東海道の他に旧東海道、古東海道があって、現在よりも数m海面が高かった鎌倉時代以降陸地が徐々に広がり、それに合わせて道を海に向かって移したようです。
古東海道沿いにあったビール工場跡地を野村不動産が再開発したYBP(Yokohama Business Park)ではユーモアあふれるアートを沢山見ることができます。写真はユルゲン・ゲーツ作のテレパーティー(Tele Party、1990年)。いずれ作品群を見に、じっくり訪問します。
みぞれが降る寒い土曜日、小田原宿(II)に参加してきました。前回の国府津駅から小田原駅までのウォーキングの続きで、今回は小田原駅から箱根登山鉄道箱根湯本駅までの10km弱のコースです。
小田原といえば梅と提灯が有名ですが、市内を流れる小田原用水沿いでは、街の人々が活けたいろいろな花を楽しむことができました。箱根の山から下りてくる車の屋根には10cm以上の雪が積もっていましたし、帽子と手袋が役に立った日でしたが、春がすぐそこまで来ていることを感じられました。
明治時代、小田原と熱海の間に「豆相(ずそう)人車鉄道」なる交通システムが存在したことは以前書いたとおりですが、今回のそぞろ歩きの帰り道、その小田原駅跡に行ってきました。
豆相人車鉄道とそれを引き継いだ熱海鉄道が、関東大震災で廃止の已むなきに至った1923年(大正12年)から90年近いこともあり、国道1号とJRとの交差にほど近い歩道橋脇の石碑以外に駅や線路を示す遺構は確認できませんでした。
終点の熱海駅跡を示すレリーフが熱海南明ホテルの玄関にあるとのことなので、いずれ出かけてみましょう。
神奈川東海道ウォークガイドの会主催のウォーキングへは2009年10月藤沢宿以来の参加です。
今回は国府津駅から小田原駅までの約10kmを半日かけてブラブラするもので、2月13日に小田原駅から箱根湯本駅までの小田原宿(II)が開催されます。
国府津駅前の富士山を遠くに臨む駐輪場は、土曜の朝にも拘わらず自転車で一杯。全員がJR利用者だとすれば、Park & Ride が上手くいっているということですね。
ライオンでの生ビールがきいたので、銀座線で新橋から日本橋へ。
最近放映のNHK「ぶらたもり」で取り上げていた日本橋中央の道路元標、車が行き交う道路の真ん中にあってやや危険なのですが、撮ってきました。
それにしても日本橋の上の首都高、100年後の人々に何と言われるか、大いに心配です。
快晴の土曜日、2009年6月の川崎宿に続いて、ご近所の4夫婦で浜松町駅から日本橋までの東海道を散策。
まずは増上寺を抜けて標高26mの愛宕山へ。徳川家康の命で祀られた愛宕神社の社務所で買った餌を持って池の前に立つと、写真のように鯉が大集合。餌をあげる人が多いのか、皆丸々と太っていて、中には前にいる奴の背中に乗っかって水から体を出してしまう元気なのもいたりして、昔の通勤ラッシュを思い出しました。
川崎宿を過ぎてしばらく歩いた京浜急行八丁畷駅近くに松尾芭蕉の句碑がありました。1694年(元禄7年)5月に芭蕉は江戸をたって郷里の伊賀に向かいましたが、見送りの門弟たちは、衰えを見せていた芭蕉が心配で多摩川を超えたこの場所までついてきて、句を詠みあい、別れを惜しんだそうです。
芭蕉が詠んだのは写真の「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」。88歳になる小生の両親に、左から「別可奈」、「麦の穂を」、「多与利耳津可無」、「翁」と読むと教えられました(一部間違えているかもしれませんが)。
数百年前の人々が当たり前に書いた文字を、というか両親の世代が読める文字を読めない。習い魔としては、古文書の読み方教室に通うぞとの心もちになりました。その成果、乞うご期待。
ご近所の4夫婦で、2009年1月の大磯宿以来の東海道そぞろ歩き。朝8:30に横浜駅集合、京浜急行で六郷土手駅へ。そこから京急鶴見駅までぶらぶら歩いて、生麦駅にほど近いキリンのビアポートで宴会。汗をかいたあとのビールは最高でした。
さて、1899年(明治32年)1月開業の大師電気鉄道(現京浜急行大師線)は、国道15号六郷橋のたもとにあった初代六郷橋駅から大師駅までの約2km、大師新道(国道409号)と呼ばれた多摩川沿いの桜並木を走る単線併用軌道で、1925年(大正14年)8月の六郷橋架けかえ、国道との立体交差工事で専用軌道化され、将来的にはほとんどの部分が地下化されるとのこと。100年あればここまで変化するという良い見本ですね。
写真は、専用軌道に作られた二代目六郷橋駅跡で、1926年(大正15年)12月に開業、1949年(昭和24年)6月に廃止されました(電車は小島新田発京急川崎行き)。そぞろ歩きした日にはこの駅跡を見つけられず、後日小雨の中再訪して写真におさめることができました。やれやれ。
日経新聞夕刊で2008年10月28日から3日間、「見知らぬ町内会」という連載がありました(2009年1月13日から第2部が連載されました)。課題だらけの「町内会や自治会」の存在意義を問う内容でしたが、小生が住んでいる町の町内会でも、年間行事といえば夏祭りと運動会程度と住民にとって魅力の乏しい状態です。
たとえば、住民の関心事項の一つである災害対策では大規模災害の際に住民は何をすべきかが周知徹底されておらず、防火についても住民、町内会と消防団の役割分担が明確でない、消火設備の適切な使い方が住民に説明されていないなどの問題を抱えています。
そのような状況を踏まえると、住民と行政は、何を目指して、それぞれ何を実行すべきか、町内会の存在意義も含めて、議論を尽くす時期にきているのではないかと感じます。
さて、街を歩いていて気になったのが写真の消火器。大磯町ばかりではなく二宮町でもたくさん見かけました。わが町と異なり消火器を街頭設置している大磯町、消火器が活用されているのか少々気になりました。
2009年1月10日(土)朝9:30大磯駅集合の神奈川東海道ウォークガイドの会月例会に参加、二宮駅まで歩きました。
大磯宿は江戸方見附と上方見附との間が1.3km程度の小さな宿場街で、江戸を出立した旅人が1泊目は戸塚宿に2泊目は小田原宿に泊まることが多かったことから、やや寂れた宿場だったようですが、1887年(明治20年)国府津までの東海道線延伸開業以降、温暖な気候を求めた政財界重鎮の邸宅が立ち並んだそうです。
そんな中で伊藤博文の邸宅だった滄浪閣(そうろうかく)は戦後プリンスホテルのものとなり、2007年に個人所有へ。現在は、学生時代には入れそうもなかった中華料理店の車寄せにロープがはられ、写真の事業計画板が示すとおり、地上3階建の有料老人ホームが建てられる由。江戸から明治、昭和、平成への時代の流れの中に人間臭い営みがあったであろうことと、邸宅所有者の栄枯盛衰を感じました。
それにしても滄浪閣の5千坪、隣の旧吉田邸の1万坪、近くにある三井別邸(現在は大磯町郷土資料館と城山公園)のように山一つを庭にするなど、昔の人はスケールが大きかったですね。
宿場街を歩きながら名所旧跡の由来を学ぶことは楽しいことです。
平塚駅手前にある丁髷(ちょんまげ)塚。祭につきものの喧嘩で打首を言いわたされた若者16名の丁髷を切り落とすことで打首に代えた代官の名処置に因んで作られたものだそうで、170年前の人々の、今と変わらない行為や気持ちが伝わってくる話です。
丁髷塚の近くにある弘栄堂のちょんまげ最中、中に栗が入って147円。他にも生クリーム入り餡のかっぱドラ焼き147円、利休まんじゅう105円もあり。
神奈川東海道ウォークガイドの会の2008年12月月例会は平塚宿。13日(土)朝9:30に茅ヶ崎駅前に集合、平塚駅駅前で昼食をとり、大磯駅着が15:30。久しぶりに約10kmを歩いて体力の衰えを実感しました。
写真は茅ヶ崎駅から東海道に出たところにある一里塚。県内の東海道には一里塚が20か所ありましたが、当時の姿を偲ぶことができるのは、この茅ヶ崎、保土ヶ谷信濃と箱根畑宿の3か所だそうです。
あるサイトによれば、江戸から京都まで約490kmを当時は13〜15日で歩いたとのことで、一日当たり33〜38km、夜明け前に宿を出て日暮れ前に次の宿に着くような旅だったようです。小生には真似できません。
神奈川県内の東海道には、川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯、小田原、そして箱根の9か所の宿場がありました。
神奈川東海道ウォークガイドの会が毎月開催する「東海道を歩こう月例会」(第二土曜日開催)は、同会ガイドの案内付きで宿場街を実際に歩き往時を偲ぶ楽しい催しです。
2007年は土曜日の木工教室と重なって品川宿と神奈川宿を歩く月例会にしか参加できませんでしたが、最近自由な時間が増えたので、この12月の月例会からそぞろ歩きを再開しようと計画しています。
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