家内が「これどうするの」と言って持ってきたのはマイクロ・カセット・テープ用の録音機「SONY Micro Cassette-corder M-900」。手に入れたのは1980年代前半で、1985年からの西ドイツ赴任に持参したものと思われます。当時のSONYは音響機器メーカーの先駆者として魅力的な製品を出し続けていましたが、いつの間にか、このようなドキドキする製品が生まれてこなくなりました。SONYだけでなく、日本におけるこの分野の製造業全体が往時の勢いを失ってしまったようです。
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1985年に会社の後輩から譲ってもらったSONYのマルチ・バンド・ラジオ。台所で活躍していたのですが、寄る年波には勝てずに雑音が混じる状態となり、勇退されます。
ロンドンの現地法人への営業・会計システム導入のため、1985年3月から5月まで3か月ほど一緒に出張した後輩がこのラジオで毎晩日本からの短波放送を聞いていることを知り、出張後すぐに西ドイツ(当時)への赴任が決まっていたので、譲ってくれと無理矢理お願いしたことを思い出しました。あれから31年ですか。
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バックギャモンに続いて西ドイツ時代の想い出の花瓶。観光地として有名なローテンブルグに出かけた時に市庁舎前広場に面した土産屋で80年代後半に手に入れたもので、裏を見ると Rosenthal とあります。
1985年5月の赴任直後に1か月ほどこのローテンブルグにあるドイツ語学校で勉強する機会を得ましたが、日米欧の若者と仲良くなって毎日のように飲み歩き、ドイツ語の勉強どころではありませんでした。5年半の赴任期間中は英語で何とかなったので、結局ドイツ語は使い物にならず。高齢者になって改めて勉強しなおしたいとも思いますが、忙しい他の遊びを整理しないことには難しそうです。
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1985年から1990年までの西ドイツ駐在時代、業務系システムの維持管理を主な仕事としてたこともあり、専用線で結ばれ多数の端末や大型プリンターが設置されたハンブルグ支店には時々出張する機会がありました。今はなき支店はハンブルグ市中心の繁華街にあり、昼食後など街歩きしながらウィンドー・ショッピングを楽しみましたが、ある日衝動買いしたのがこのバックギャモン。
箱は木で、またサイコロのカップも木をくりぬいたもので、その頃から木の温もりをよしとしたのでしょう。久しぶりに押入れから取り出して見ると、中に入れてあったルール・ブックにシミができていて、玉手箱の中から30年前の空気が出てきたようでした。このルール・ブック、ルールも知らない小生のために、当時ロンドンにいた後輩がくれたもので、彼とは何度か対戦したものの1990年末の帰国後は一度も使っていません。今となってはルールを思い出すより、これと同じようなものを作ってみたい気持ちで、象嵌など加飾の勉強になりそうです。
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1998年からのニューヨーク時代は、会社と関係が深かったゴルフ・クラブのメンバーにしてもらって、アップ・ダウンのきついコースでしたが、春から秋まで仲間とゴルフを楽しんだものです。社内のコンペもそこで開催されることが多く、胸にクラブのマークが刺繍されたこのウィンド・ブレーカーは部門コンペでの優勝賞品。ニューヨークでは郊外に家を借りていて、このゴルフ場までVWのNew Beetleで20分程、緑が一杯の林の中を走ったことを思い出しました。
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隣に引っ越してきた弟が「家にこんなものがあったんだけど」と持ってきたのは、1985年から5年半の西ドイツ駐在時代に使っていたバック・パック。合成ゴムを使った製品の常として、内側は30年の間に加水分解してベタベタになって使える状態ではなくなりましたが、カバーについていた名札入れにこの紙片を見つけました。
2行目の住所は「レルヒェンシュトラッセ ズィーベン ウントゥ ツヴァンツィッヒ」と発音し、訳せば「雲雀通り27番地」。日本人学校の隣のアパートがこの住所で、そこの4階に住んでいました。出張などで空港までのタクシーを呼ぶ時には電話口のオペレーターにこの住所を伝えるのですが、日本人が不得意な「R」の発音、この場合は「レルヒェン」の「ル」と「シュトラッセ」の「ラ」の発音が難しく、最初の内は何回も聞き直されことを昨日のことのように思い出しました。
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机の抽斗から出てきたのは10年ほど前のゴルフ練習場の利用券。「やまゆりゴルフセンター」は地下鉄片倉町駅近くで距離は150ヤード程度。「TOPIC GOLF CLUB」は、第三京浜からもネットが見えますが、三枚町の畑の中の練習場で距離は200ヤード程度と、こちらは大型施設です。
腰の痛みでゴルフをやめるまでいずれの練習場でも「プロ」に何回か教えてもらいましたが、教える気があるのかないのか、勉強になったという記憶はありません。向こうからすれば朝から晩まで下手と付き合っている訳なのでそうなる気持ちも分かりますが、多分、日本中のゴルフ練習場の殆どの「プロ」たちはそんな感じなんでしょうね。
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この靴、アディダスのグランドスラムというスニーカーで、ソールの踵部分にプラスチックの棒が3本ささっているのが特徴です。30年間にわたるグランドスラムの思い出を少々。
グランドスラムに出会ったのは確か1985年の西ドイツ赴任前だったと記憶します。西ドイツで同じものを発見して、週末用、テニス用の靴として愛用し、室内テニスコート用のソールがツルツルのものも持っていました。
西ドイツから帰国する前年、1989年の夏休みにケニアに出かけ、モンバサの海岸で黒檀の彫刻と交換したことについては前に触れました。
2002年末にニューヨーク赴任から戻り、暫くしてネットでグランドスラムの復刻版を見つけて早速手に入れ、この靴はそれから数えて3代目で、4年ほど履いてソールが剥がれかけてきたので最近引退したものです。他にもストライプが紺色のモデル、白色のモデルも持っていて、モノとヒトの波長がピッタリと合うと浮気できないということの好例です。
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2002年末に米国から戻ってすぐに買ったIBMのThinkPadを2004年末ハワイで車上荒しに盗まれ、2005年初にソフマップで買ったのが右側のThinlPad R32。2007年にVAIOが加わったので家内専用となりましたが「遅い」ということで数年前からアイロン台の一角で埃をかぶっていたのですが、とうとう廃棄することとなりHDDのクリーンアップ中。
仕様は、プロセッサーがPentium 4、メモリーは128MBを確か256MBにアップ、HDDは実測で27GB、LCDは1024x768。この時代のIBM PCの特徴として、キーボード中央に「トラックポイント」と呼ばれる赤い突起がカーソルを動かすために用意され、外付けのディスケット・ドライブが付いてきました。
人が年老いて次の世代に道を譲るのと同じで、左のVAIO君もそろそろ7年目となるので、身の振り方を考えなくては。
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1978年2月の結婚式の引き出物はこの北欧製のグラス5個でした。ドイツだアメリカだと引っ越す間にわが家のものは全て割れてしまい、家内の実家から拝借してきたものを使っています。あれから35年半。年をとる訳です。
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昔々知人からいただいた「三だいの機関車」は子供たちに人気の機関車トーマスの初期の本で初版は1973年、この本は1985年の第19刷です。
ここに出てくるのはエドワード、ゴードンとヘンリーの3台で、トーマスは次の号に登場するようです。どの時点でトーマスが主役に躍り出てきたのでしょうか。
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40年近く前に米国留学中の友人からのプレゼントで、印刷してある「M T」は名前の頭文字。若いころはセブン・ブリッジなどで必死になったものですが、年をとってくるとトランプには触りませんね。最近の活躍の場は時々預かる幼稚園児とのババ抜きぐらいでしょうか。
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1985年から1990年までの西ドイツ駐在時代に乗っていたマウンテンバイク。わが家周辺には乗り回すような道路がなく雨ざらしとなっていましたが、家内の古い自転車と合わせて2台1,000円で売れたということで、暗くなってから急きょ写真撮影。
ギアなどはShimano製、ドイツ人向けの大きなフレームなので女子供には乗りこなせない代物でした。ライン河沿いの道を走って、時々現れる小さなフェリーで対岸に渡ったり、途中でアイスクリームを食べたり、若かりし頃の思い出が詰まっています。アフリカあたりでお役にたってほしいですね。
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80年代のオーストラリアへの出張で見つけたのが、蹄鉄用の釘で作った小さなカンガルーの親子。生き生きとしています。屋根裏にしまっておいたら錆がでてきたので、これから錆取りと再塗装です。
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思い出の鍋ではありますが、プラスチックの取っ手が焦げて壊れそうになったりして、最近全てステンレスの鍋に交換しました。
一番大きなアルミの鍋は友人M君の結婚披露宴の引き出物としていただいたもので、あれから30年近く使ったことになります。鍋も人間と同様に疲れてくるんでしょうね。
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ドイツ駐在時代に買ったメモリー、いわゆる神経衰弱ゲーム専用カードです。英語のMickey Mouseがドイツ語圏ではMicky Mausとなるんですね。
子育てサポートで預かっている6歳児と対戦しましたが、危うく負けるところで、記憶力の衰えを実感しました。現在2歳の孫との勝負に備えて、時々ひっくり返して練習しましょうかね。
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20年ほど前に弟がドイツのお土産としてくれたものを駐車場の扉に付けています。意味合いは次のとおりですが、横浜市における効果のほどは分かりません。
Privatparkplatz!
Widerrechtlich geparkte Farzeuge werden kostenpflichtig abgeschleppt
私有駐車場!
違法に駐車している車は(その車の)所有者の費用負担で撤去されます
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1982年の豪州出張時に買った鍋敷き、瀬戸物部分が割れてしまいましたが、まだ活躍中です。1932年完成の Sydney Harbour Bridge の50周年記念の品です。
長期出張では、この橋の上を通る地下鉄で郊外のモーテルから事務所まで往復していて、週末になると駐在員宅で大歓迎され、ゴルフを始めるきっかけにもなったし、シドニーは合計で1年以上滞在した思い出の地です。
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弟が「こんなものがあったよ」と持ってきたのは20数年前に子供たちが遊んでいた玩具。屋根に「Baerenwald-Klinik(熊の森の診療所)」とあるので80年代後半、赴任先の西ドイツで買ったものでしょう。
孫に見せたら気にいった様子なので、タッカーの針が抜けてガタガタする屋根を直して、プレゼントにしますか。
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初期のコンピュータでは記憶装置としてコア・メモリーが使われていました。写真中央は1980年代、通信用に使われていた大型コンピュータ(確かGE 635)を分解した時に頂戴したコア・メモリーで、記憶容量は2KB(虫眼鏡で確認したら32x32=1,024のコアが16面で16Kビット、即ち2KB)。
このコアメモリーの大きさは縦横約15cm、225平方cmなので、1平方cmあたり約0.008KB。最近買ったデジカメ用メモリーカードは約6平方cmで16GBなので、1平方cmあたり約2.67GB。ということは、この数十年間で記憶密度が3億倍以上になった訳ですね。
1998年4月から2000年8月まで住んだ米国コネチカット州(CT)のナンバープレイト。
車はいろいろと替わりました。前任者から買ったボルボのワゴンとオールズモービルは調子が悪く暫くして廃車。次はかみさん用のスバル・アウトバックで、2002年の帰国まで使いました。小生用には友人から買った三菱パジェロ、更にはパジェロを下取りに出してVWの黄色いニュービートル・ターボ。この車は、帰国後に残った娘が2004年まで使っていました。娘には、大学に通い始めた2000年にVWゴルフを。
といった塩梅で5年間で計6台。零下20度の冬も半袖で過ごせるような暖房設備とか、一人一台の車とか、米国はエネルギー大量消費型社会です。
社会人になって数年後に導入されたのが IBM 3850 なる記憶装置。MSS(Mass Storage System)と呼ばれ、写真の高さ9cmほどのデータカートリッジ内に巻きとられた容量50MBの磁気テープに記録する仕掛けで、カートリッジ2,000本を収容するシステムの総記憶容量は約100GB。
IBM 3850 がいくらしたか分かりませんが、今では5万円のノートでも160GBのHDDが付く訳で、技術進歩の速さと大きさには驚きます。
これもオランダ出張で買ったもので、アムステルダムの通りに並ぶ古い家々がミニチュアとなっています。メーカーはRoyal Goedewaagen。
当時確か、通りごとに1セット6軒で3,000円くらいだったと記憶しますが、同社ウェッブショップでは1軒19ユーロ(約2,500円)、値上がりしたもんです。
1980年代にザンビアに出張した友人からもらった紙幣で額面は1クワチャ(Kwacha)。紙幣の顔は、1964年東京オリンピックの年にイギリスから独立した時の初代大統領。
現在のレートは1クワチャが大体0.02円(ということは100クワチャで2円)で、この紙幣は使われていないようです。
前回の台秤と同じロッテルダムの古道具屋で買って車で持ち帰ったものです。
先日台所の換気扇を20年ぶりに交換しましたが、使っている鉄板やプラスチックが薄いなど新しい換気扇の作りのチャチなこと。
人間はものの「重さ」を心地よく感じることが多いのではないかと思います(「重さ」とは必ずしも重量である必要はなく、見た目の「重さ」も含まれます)。軽くて安い製品づくりも大切でしょうが、このコーヒー・ミルのように「重さ」を感じさせる製品が生まれてほしいですね。
2005年夏に始まった北海道庁のプロジェクトでは毎月のように帯広に出張しましたが、仕事を終えた後の北海道旅行が楽しい思い出となりました。
釧路の観光バスツアーで見つけた素晴らしい木彫り。「憲」と朱で書かれた木札が付けてあるのが特徴でした。阿寒湖湖畔の土産物屋でも同じ作家のものを見つけ店主に伺ったところ、旭川の佐藤さんの作と分かりました。
北海道に住む友人ご家族総出で佐藤さん探しをしていただいて、とうとうお名前が佐藤憲治さんで住所と電話番号も分かり、2006年2月の雪の中、工房にお邪魔して譲っていただいたのが写真のサケとカレイ。材は槐(エンジュ)で、サケが全長90cm、カレイが28cmです。
人生60年も生きてくると、思い出が詰まった小物たちがたまってきます。そんな小物をとりあげて、思い出の一端をご披露します。トップバッターはケニアはモンバサの海岸で手に入れた黒檀の彫りもの。
ドイツ駐在中1989年のケニア旅行では、前半1週間はマイクロバス(日産キャラバンでした)で国立公園を巡り動物を堪能、後半1週間はモンバサの白砂の海岸でゆっくりしました。
モンバサのホテル前の海岸で動物の木彫りを売っていたおじさんの手元に置いてあったのがこの彫りもの。「売り物ではないよ」というおじさんの視線がわがスニーカーに釘づけになっていたので、使い古したアディダスのスニーカーに約2,000円を乗せ、更にホテルのプールサイドのバーでビール1杯おごるからと言いふくめて交換しました。
何と呼んでよいのか。トーテムポールでもないしね。ずっしりと重く、水に浮きません。
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