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深夜特急 5 トルコ・ギリシャ・地中海

第四巻 シルクロードに続いては第五巻のトルコ・ギリシャ・地中海。沢木さんもトルコ東部の都市エルズルムからバスに乗って黒海に面する港町トラブゾンへ向かったのですが、山越えで経験したのは小生と同じく急な天候の変化で、『谷あいの道に入ると、山の向こうに雲が見えてきた。実に何十日かぶりの雲だった。(中略)さらに走ると、やがて雨が降り出してきた。』(P.41)とあります。雲や雨に感激するということは、人生でそうあるものではありません。

続いてトラブゾンから船で西に行こうとした沢木さんは、日曜日に街の老人から「明日の夜に出るらしい」と聞いて翌日船会社に行くと「次の船は金曜日」と言われ、「(老人の説明は)どうやら出まかせだったらしい」と書いていますが、小生が1972年に乗船したのは月曜の船でした。ということは老人の記憶は正しかったものの、小生と沢木さんの旅の間の2年間に月曜の便が廃止されたということなんでしょうね。因みにバスとの競争に負けたためなのか、2011年時点でトラブゾンからイスタンブールへの船便はありませんでした。

さて、この第五巻で見つけたのは『旅がもし本当に人生に似ているものなら、旅には旅の生涯というものがあるかもしれない。』(P.198)という見立て。続いて『人の一生に幼年期があり、少年期があり、青年期があり、壮年期があり、老年期があるように、長い旅にもそれに似た移り変わりがあるのかもしれない。私の旅はたぶん青年期を終わりつつあるのだ。』とあり、小生若かりしころの257日間の旅でも同じような思いを抱いたものです。これらの「期」は勿論時間の経過とともに遷移するのですが、例えば日本人にとってのシルクロードのような「放っておいても物事が起こってしまう場所」においては、この遷移に必要な時間がゆっくりと進むという、つまり中々年をとらないという不思議な現象に出会うのです。そんな時間をいずれまた経験してみたいですね。

第五巻

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魚菜料理テキスト

読んだことがない本をカテゴリー「Books」に分類できるのか。「Recollections」でもないし。とにかく、小生の目の前で資源ゴミになろうとしていたこの本を拾い上げたのです。

先ず写真の田村魚菜さん(1914年11月23日 - 1991年3月25日)についてWikipediaには『料理研究家。 静岡県生まれ。小学校卒業後、東京の魚屋に奉公、京橋の割烹蔦屋で料理を学び、本山荻舟、四条流石井泰次郎に師事する。1938年に雑誌『魚菜園』を創刊、戦後の1949年に東京自由ヶ丘に料理塾を開き、1955年に魚菜学園を創立。1973年からテレビの料理番組で有名になる。』とあります。

この本が、NETテレビ(当時の日本教育テレビ、現テレビ朝日)の桂小金治アフタヌーンショーの料理番組用に出版されたのは1971年(昭和46年)なので、上のWikipediaの解説とやや異なるものの、この時点で魚菜さんは57歳。「春季号」ということで4月から6月までの放送分が盛り込まれていて、小生の好みを印にして以下に列挙しますが、今さらながら肉好きは明白です。

4月2日放送: 酢豚(◎:小生の大好物)
4月9日放送: 油焼きそばの五目あんかけ(◎)
4月16日放送: ホットドッグ(◎、この日は小生の誕生日)
4月23日放送: たけのこご飯(○、好物ではあります)
4月30日放送: ショートケーキとモンブラン(◎、当時ケーキといえばこの2種類)
5月7日放送: ごま豆腐(○)
5月14日放送: 鶏肉の都ふう炒め物(○)
5月21日放送: チーズサンドトースト(◎)
5月28日放送: おひょうのおかべあんかけ(×:好物ではなし)
6月4日放送: 豚肉の衣焼き(◎)
6月11日放送: 肉みそそば(○)
6月18日放送: ひき肉のベーコン焼き(◎)
6月25日放送: かつおのなます(×)

魚菜

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落語無学

江國滋さんの落語三部作「落語手帖」「落語美学」とこの「落語無学」を読み終えました。それにしても江國さんの周りでは何故これほどまでに落語的なことが起きるのだろうか。誰もがそのような出来事に出会ってはいるものの、その前髪を掴み損ねているということなのか、江國さんには特別な能力があるからなのか、いずれにしても江國さんは世の中のことや人間そのものに大いなる興味を持ちつつ積極的に接していたんでしょう。

三部作を読み進んできて、例えば「落語手帖」の「落語歳時記」では歳時記といいながら俳句に殆ど触れていないのに、この「落語無学」の「落語歳時記」ではそれぞれの季語に応じた落語と俳句が並んでいて、江國さんの関心が20代後半から30台前半にかけて落語から俳句に移ったのかなと感じました。因みに、俳句の集大成が「おい癌めくみかはさうぜ秋の酒」であり、亡くなるまでの187日間に223句を詠んだそうです。

落語無学

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深夜特急 4 シルクロード

ネットで沢木耕太郎さんの「深夜特急」を見つけ、文庫版全6巻の内、小生の1972年の旅で最も印象に残ったシルクロードの国々が描かれているであろう「第4巻シルクロード」を先ずは取り寄せました。

1947年11月生まれの沢木さんがこの旅に出たのは1974年、26歳の時のようですが、第1巻を読めば、日本を発ったのは1973年だったと書いてあるかもしれません。23歳で同じようなルートを旅した小生にとって自分の旅を思い出すことができる次のような懐かしい内容ばかりでした。

【移動手段】小生の場合、アフガニスタンの首都カブールからイスタンブールまでバス、列車、船、タクシーといろいろ体験しましたが、沢木さんの長距離移動は全てバス。カブールからイランまでの行程で沢木さんはカブール7時発のバスに乗ってカンダハルで1泊し翌日イラン国境近くの街ヘラートまで移動していますが(P.81)、小生は6時カブール発23時半ヘラート着のバスで一気に移動しました。

【ドーミトリー】ベッドが何台か置いてあるだけのドーミトリーなる部屋が貧乏旅行者用に用意されていて、小生の場合も、アフガニスタン、イラン、トルコでの宿泊は全てこのドーミトリー。現地で探すことになるので当然予約無し。安いし、仲間を見つけられといったありがたい場所で、中には床にペルシャ絨毯を敷いただけの1泊5アフガニー(20円)のドーミトリーなどもあります。

【為替レート】小生が旅行した1972年には$1、308円が80アフガニー前後だったので1アフガニーが約4円でしたが、沢木さんの1974年には「4人部屋で20アフガニ、約120円(P.60)」とあるように6円となっていたようです。

深夜特急4

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落語美学

気に入った作家に巡り合うとその人の著作を続けて読みたくなるのが小生の特徴なのですが、誰でもそうなんでしょうか。そんな訳で「落語手帖」に続いて江國滋さんの「落語美学」を読んでみました。単行本の初版が昭和40年というから1965年、1934年生まれの江國青年20代後半のエッセイを集めたもので、落語手帖と同様、歳に似つかわしくない文章に驚きながら、あっという間に読み終えました。

印象に残ったのは次の2点。先ずは、落語の様々な落ち(サゲ)を12種に分類した先人の研究に対して『落語のサゲの整理分類という作業にはあまり意味がないように思う。それというのも、それぞれの範疇に属する落語の数がはなはだしく不均衡で...(P.48 )』と、経営コンサルタントの常套句「ものごとを整理分類する時には構成要素の粒度を揃えなくてはならない」と同じで、どの世界も、またいつの世も真理は一つだなと感じたこと。

2点目は、この本は古き良き時代を思い出させてくれたということ。ある落語評論家の奇抜な服装を見て「間抜けな格好」という意味で『すっとこどっこいの格好』(P.148)と評していますが、エッセイが書かれたのは、古典落語の風情が世の中にいろいろと残っていた時代で、当時小学校卒業前後の落語好き少年として、ラジオから流れる落語で確かにこの表現を聴いた記憶があります。

落語美学

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落語手帖

江國滋さんのことをもっと知りたくて、36歳の時の「阿呆旅行」、63歳没後の「おい癌め酌みかわそうぜ秋の酒」に続いて26歳の時の「落語手帖」を読みました。この人、天才ですね。大学を出て新潮社に就職して間もなくの1961年(昭和36年)の処女出版ですが、高名高齢の落語家との付き合いや批評、簡潔明瞭な自跋を含め、26歳がここまで書くものかと驚きました。尤も、これは身近に天才が存在しなかった故の感想であって、天才とはこんなふうに早熟なんでしょう。

さて、中身はというと、「落語談議」では落語に出てくる親子、服装、食べ物について、「落語博物誌」では今では勿論、50年前のこの本の時代でさえ理解できる人が少なくなった文化について、「高座百景」ではいろいろな落語会の印象について、その他贔屓の落語家や落語歳時記など、最後には自作の新作落語まであって、読み始めると本を閉じることができないような出来でした。中でも1960年(昭和35年)5月の「東横落語会瞥見」(P.91)では、志ん生、圓生、小さん、文楽、三木助の落語を楽しんだことが書かれていて、この時代が落語の全盛期だったことが分かります。

小生は古今亭志ん朝「命」なのですが、この本が出版された1961年といえば、志ん朝の親爺である志ん生が活躍した時代で、小学生の頃にラジオで志ん生を聞いて大笑いしていたことを思い出させてくれました。

落語手帖

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おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒

阿呆旅行」に感激して、江國滋さんの闘病日記「おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒」を読みましたが、いやはや凄い内容で、1997年2月の検査から同年8月の永眠まで、最後の数日は編集者の手によるものですが、大手術3回、放射線治療の甲斐なく死に向けて突っ走った以下のとおりの壮絶な187日が、毎日毎日の体調や思いとともに記録されています。

癌に侵された食道と胃を切除して腸を首につなぐという大手術が本当に必要だったのか、手術が江國さんの63年間の人生最後のQOLを損ねたのではないのか、自分がそうなった時にはどうするのか、苦痛に耐えての180日よりは五体満足に30日生き抜く方を選びたいなど、大いに考えさせられました。
 
2月5日(水):友人医師の病院で検査。食道癌が見つかる。
2月21日(金):国立がん研究センター中央病院に入院。
3月4日(火):食道と胃を摘出し食道上部に腸をつなぐ大手術。
4月14日(月):接合部分がくっつかず再手術。
6月4日(水):右頸部リンパ節への転移が見つかり、放射線治療開始。
7月1日(火):右腕上腕部剥離骨折手術。
7月16日(水):最後の手書き日記。
7月17日(木):日本橋三越で開催された「東京やなぎ句会」に出席。
7月19日(土):退院。
7月23日(水):がんセンター外来診療で肺炎見つかるも満床で入院できず。
7月24日(木):胸の苦しさを訴え、練馬の病院に入院。
7月31日(木):がんセンターへ転院。
8月8日(金):辞世の句「おい癌め酌みかわさうぜ秋の酒」。
8月9日(土):見舞いに訪れた友人矢吹医師と筆談。
   江國「なんでもいいかららくにさせて 矢吹さんはやくよろしく」
   矢吹「主治医が新たな投薬の指示を出したからもうじき痛みも楽になりますよ」
   江國「らくにしての らくのイミがちがう」
8月10日(日):永眠。

おい癌め

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阿呆旅行

江國滋さんを、先日読んだ宮脇灯子さんの「父・宮脇俊三への道」で知り、早速読んでみました。小説新潮に連載された紀行文24篇を収録したもので、書かれたのは江國滋さん36歳の1970年から71年にかけて。

この本を「阿呆旅行」と、内田百里痢岼に捨鷦屐廚鯱∩曚気擦詭樵阿箸靴燭海箸蓮江國滋さんが「百諒験悗龍舷者(P.240)」であったことから理解できますし、書名に「列車」を入れなかったのは、全24篇の内で列車に関する記述が次の5篇の味気のないものばかりで、江國さんは列車を移動のための手段としか考えていなかったと推察されます(他に飛行機と船の記述少々あり)。

1. 精進落さず-伊勢-:正午発ひかり37号は全車輌座席指定である。(P.11)
2. 三景の末路-松島-:寝台急行「新星」は午前6時10分の定刻きっかりにホームに辷り
    込んで、仙台駅はもう完全に起きていた。(P.148)
3. 百鬼園先生町内古地図-岡山-:先生の大好きな汽車、ではなくて、「ひかりは西へ」の
    ポスターと共に岡山まで延びた新幹線ひかり57号に乗り込んだ。(P.242)
4. 裸体写真撮影行-奥日光-:電車はすいていた。(P.253)
5. 細胞入替え旅行-ヤング京都-:(前略)その雨を刈込むようにひかり号が疾走している
    ので(後略)。(P.275 )
 
さて、この本の特徴はと問われれば、先ずは、江國さんの日本語が美しいと感じたこと。例えば次のようなところ。これを36歳で書くというところが凄いと思うし、宮脇俊三さんも「解説」で『本書の真価は文人「江國滋」の三十歳代中期に接することにある。』(P.294)と書いています。

『(網走刑務所の裏手に並んでいる刑務所職員と受刑者の墓地を訪ねて)右側は、明治18年以来の受刑者の墓地。深い雪にうずもれて、卒塔婆が4、5本わずかに先端をのぞかせているだけである。右に眠る人と左に眠る人の身の上に思いを致すと、立場こそちがえ、つまりは囹圄(れいご、牢屋のこと。括弧内ブログ主の注、以下同様)の人であることに変わりはなかったのではないかというのは愚かしい問いかけであって、ここに立つ私も健忘(新潮社の編集者で旅の同行者、忘れ物の名人)も亀羅氏(カメラマン)も、緩慢な死刑を宣告された実は人生の囚われ人にほかなるまい。天を衝く針葉樹が千本格子のように周囲を囲んで、千本格子越しにまっ赤な夕日が、白い墓地のむこう側にゆっくり沈んでいった。(P.44)』

次なる特徴はユーモアで、例えば次のようなところ。

『(ハワイへの機中、内田百里離劵泪薀篁碍呂冒蠹する旅のお伴の)隣席の健忘に声をかけたが返事がない。見れば、赤鉛筆片手に海外旅行ガイドブック・ハワイ篇に読みふけっている。ドロ縄もいいところである。何をそんなに熱心に読んでいるのかと思って、ひょいとのぞきこんでみると、<立小便をしてはいけません>という一行に線が引いてあった。にわかに道中が心細くなってきた。』(P.102)

活躍した時代を俯瞰すれば内田百痢1889〜1971年)、江國滋(1934〜1997年)、宮脇俊三(1926〜2003年)の順にユーモアを受け継いだんだろう思います。初めて接した江國さんに恐れ入ったので、続いて、27歳頃の「落語手帖」と食道癌による没後出版された「おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒」を取り寄せることとしました。

阿呆旅行

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父・宮脇俊三への旅

宮脇俊三さんの「終着駅」のあとがきに、宮脇さんの長女灯子さんの素晴らしい文章を見つけたので、彼女の「父・宮脇俊三への旅」を読んでみました。父親との想い出をこんな風に綴ってくれる子供がいたら、親として嬉しいでしょうね。中でも「紀行作家は留守がち?」にある次の部分(P.24)が、句読点の使い方、ユーモアのセンス、文章の終わり方が何となく宮脇俊三的で気に入りました。

『そんな家庭で育ったせいか、私は家族がいてもひとり旅に出る男性を好意的に見ている。妻子を置いて、ふらっと行き先も告げず旅に出てこそ男、という考えすら抱いている。(中略)私自身も、旅はひとりで、という主義である。(中略)しかし、恋愛論が得意な某男性エッセイストによると、「旅がひとりでできない女性は自立心が薄くて少し考えものだが、ひとりでしか旅行できない女性というのもまた困りもの」なのだそうだ。』

父・宮脇俊三への旅

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終着駅

この「終着駅」は、2003年に亡くなった鉄道紀行家宮脇俊三さんの掌編を集めたもので、書かれたのは1978年のデビュー作「時刻表2万キロ」と1979年の「最長片道切符の旅」の間とのこと。それから35年、第1章「終着駅」に記された駅の中で、稚内(宗谷本線)、片町(片町線)、大前(吾妻線)、根室(根室本線)、津軽中里(津軽鉄道)、中村(中村線、現在は土佐くろしお鉄道中村線)、海芝浦(鶴見線)は現存するものの、肥後小国(宮原線)、熱塩(日中線)、蛸島(能登線)、大社(大社線)、三保(清水港線)は廃駅となっていて、時代の流れを感じます。

さて、私鉄の終点駅を除いて「終着駅」といえば、今は亡き江差駅のようなローカル線の終着駅が連想されますが、欧州に多い頭端式終着駅(Wikipediaによれば「同一平面上の2本以上のプラットフォームの一端が1つにつながっているもの」)も数は少ないものの存在し、いずれはその全てを見てみたいものです。JRの頭端式終着駅で行ったことがあるのは北から函館、会津若松、上野、鶴見、横須賀、京都(山陰本線と奈良線)、天王寺(阪和線)、高松、宇和島、長崎、行ってみたいのは利府、大湊、新庄、大曲、可部、門司港と、こうやって名前を書くだけで血が騒ぎますね。

終着駅

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好きなことに、バカになる

「好きなことに、バカになる」の著者、細野秀雄東工大教授は「材料工学」、特に「酸化物」の専門家で、(1)ガラスの半導体で高性能の薄膜トランジスタを作りだした、(2)セメントに電気を通して金属化した、(3)「鉄」系の超電導物質を発見した、の3つの成果で高名な方だそうです。

本の中身をひと言で表せば「人生には嫌いなことをしている暇はないので、好きなことに熱中しなさい」ということで、世界を驚かせる発明、発見をなしてきた方ならではの教訓が数多く記されています。ただ、高齢者として既に「好きなことに熱中する」生活を送っているので、この本のように人生の生き方の規範を示す内容に触れても有難味が少ないというか、「若い頃に読んでおきたかった」という感じがしました。子供や孫の層が読むべき本ですね。

好きなことに、バカになる

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日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】

「日本史の謎は「地形」で解ける」に続いて竹村公太郎さんの「日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】」を読みました。前作と比べて自説の主張の仕方がややマイルドになったのでホッとしましたが、筆致から竹村さんの実際の話し言葉が連想され、頑固な爺さんなんだろうなと想像しました。

中身としては前作同様、地形や気象という主観の入りにくい物差しで日本史の謎に挑戦していて、第9章の「「弥生時代」のない北海道でいかにして稲作が可能になったか(P.161)」では曲がりくねった石狩川を真っ直ぐな流れに変える土木工事について、この工事の目的は洪水対策だけでなく、川の流れを直線化することで流速を速め、流れの力で川底を深くし、地下水を排水して流域の泥炭地を耕作可能地とすることであったとの説明は、新鮮でした。

なかでも第8章の「貧しい横浜村がなぜ近代日本の表玄関になれたか(P.145)」は、横浜で生まれ育った小生の不勉強を感じさせてくれる内容でした。大都会には飲み水が不可欠であり、その対策があったからこそ横浜の発展があった訳で、1859年開港後の1873年(明治6年)から多摩川から「もらい水」をしていたもののコレラの発生や水利権の問題があったので他に水源を探し、1887年(明治20年)にようやく相模川を水源とする横浜水道が完成、その後、大正時代には相模川からの導水増強、相模ダムは1938年(昭和13年)着工、1947年(昭和22年)完成、1965年(昭和43年)には城山ダム、1978年(昭和53年)には酒匂川に三保ダム、2001年(平成13年)には宮ケ瀬ダムを完成と、150年以上に亘る水との闘いがあったことは忘れてはいけませんな。なお、神奈川県にある箱根芦ノ湖の水利権は静岡県にあり、神奈川県は飲み水としては利用できないそうで、歴史の重さを感じます。

日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】

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日本史の謎は「地形」で解ける

竹村公太郎さんによる「日本史の謎は「地形」で解ける」は、建設省や国交省でダム・河川事業を担当してきた竹村さんが、豊富な知識を持つ地形や気象の事象から日本史の謎を解こうというもので、そこかしこに出てくるやや大袈裟な表現には目をつむるとして、関ヶ原勝利後に何故家康は江戸に戻ったか、何故信長は比叡山を焼き討ちしたかなど、全18章いずれも目から鱗でした。

ただ一番印象に残ったのは「はじめに」にある次の部分。竹村さんがこの研究を進めるきっかけとなったできごとです。

『(自然破壊と非難されていた長良川河口堰事業について社会評論家に説明したところ「説明の中に人々の生命と財産を守るとの言葉が何回も出てきたが、そのような上から目線では事業がこじれるのは当たり前だ」と席を立たれてしまったことを受け)インフラ屋の私はインフラつまり下部構造を徹底的に説明すればよい。思想、哲学、社会、宗教、文学などの上部構造に手を出さずに、自分が得意な地形と気象の分野を表現すればいい。(中略)その地形と気象の材料を使って他分野の人々と会話をしていく。それが私の役目であると気がついた。』

日本史の謎は「地形」で解ける

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「最長片道切符の旅」取材ノート

宮脇俊三さんの名著「最長片道切符の旅」の取材ノート11冊を、宮脇さんの死後、娘さんが本にしたもので、ご本人は「あの世で苦笑いしているか」と前書にあるように、400頁以上が次のような味気ない記述で一杯です。

『第23日 敦賀-京都 豊岡発15:24(7輌)キロ28ナド。(7指6G5指4〜1普自)。円山川に沿う。黒光りの瓦。江原で下り特急城崎行と交換。ガラ空き。つぎの八鹿で下り急行浜坂行と交換。これは混んでいる。(P.271)』

しかしながら、宮脇ファンとしては以下の2点に魅かれました。

1. 文章能力: 取材ノートにある『書き出し、「会社を辞めたら、いちど思う存分、乗ってやろう」と思っていた。(P.186)』を、「最長片道切符の旅」で『自由は、あり過ぎると扱いに困る。籠の鳥は外に出されるとすぐ空へ飛び立つのだろうか。暇ができたので心ゆくまで汽車に乗ろう、思う存分に時刻表を駆使してみよう、と張切っているのだが、どうもこれまでとは勝手がちがう。いったい、どこから手をつけたらよいのか。(P.9)』と膨らませた宮脇さんの文章能力が羨ましい。

2. 歴史記録: 宮脇さんが実際に旅をされた1978年は既に歴史となっていて、そのような記録に触れると気持ちが高ぶるのは何も「鉄」だけではないと思います。例えば、当時の塩尻駅は岡谷(新宿)寄りにあったので『(松本から名古屋に向かう列車は)塩尻で向き逆になる。(P.210)』とありますが、その後1983年の塩嶺トンネル開通を控え1982年に塩尻駅を松本側に移転し、結果として松本、名古屋間、および松本、新宿間の直通列車は塩尻駅で進行方向を変える必要がなくなったということなど、大事な歴史記録です。でもこれ、「鉄」以外にはどうでも良いことなんでしょうね。

取材ノート

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暗号解読

数か月前に読んだ「フェルマーの最終定理」と同じ著者、訳者の「暗号解読」は、人類3千年の歴史の中で考えられ、使われ、解読されてきた暗号について、技術的側面に加えて暗号に係わる人間の営みを生き生きと描いたもので、著者サイモン・シンと訳者青木薫は再び読者を唸らせたということです。

この本が面白いのは、著者が作った10の暗号問題を最初に解いた人に賞金1万ポンドを差し上げますという懸賞が掲載されていること。1999年に出版された原書の説明には「2010年までに回答者がなければ、著者が回答を示し、最も先に進んだと判断される人物に賞を与える」とあったのですが、出版翌年の2000年10月にはスウェーデンの五人組が全問正解したそうで、人類の知恵は著者が想定した以上だったということです。この本で暗号マニアなる人々の存在を知ることもできました。

暗号解読

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