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異類婚姻譚

小説は殆ど読まないのですが、書名にひかれ第154回芥川賞受賞作品、本谷有希子さんの「異類婚姻譚」を手に入れました。因みに異類婚姻譚とは普通名詞であり、Wikiによれば「人間と違った種類の存在と人間とが結婚する説話の総称」で、「鶴の恩返し」などがこれに相当するとのこと。

主人公の「サンちゃん」が「ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた」ことで始まる不思議な物語で、「異類」と結婚するということはこんな風に日々が展開するのかもしれないなと思わせる展開の末に、植物だったのであろう「サンちゃん」の旦那は最後は山に帰るという筋書きです。主婦を中心とした日常が口語調の文章で活写され、小生にとっての芥川賞のイメージを(良い意味で)壊してくれました。

さて、飼い主の顔が犬に似ているということは、以前飼っていたケビン君の散歩で何回も観察済みなので、飼い主と犬との関係以上に近い存在である夫婦の顔が似てくるということは大いにあり得るでしょうし、わが家の場合もそうなりつつあるのかもしれません。

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砂の器

木次線亀嵩駅に触れた投稿へのコメントにあった松本清張「砂の器」は読売新聞夕刊に1960年(昭和35年)5月から10か月間連載された後、翌1961年に新書版初版が発行され、Amazonで手に入れた2004年発行本では何と152刷となっています。コメントへの返答に「昔読んだ」と書いたのは記憶違いで今回が初読。2段組み全478頁を老眼が読み終えるには時間がかかりました。

さて、前衛芸術家集団を含めた登場人物の多さ、主人公である今西刑事の事件解決に向けた着想がやや強引なところ、超音波を使った殺人について細かな記述がないこと、(現在では治療法が確立している)ハンセン病の父を持つことを隠したい一心が殺人動機であることなど、ストーリー展開で気になる点は多々あるものの、これだけの人間を考えさせ、語らせ、動き回らせるのは、構想するだけでも楽しい作業だろうなと感じました。

さてさて、作中の鉄道関連情報他を確認したくなり、手元にあった日本交通公社1956年12月号時刻表をひっくり返すなどして以下確認しました。これまた「人生は冥途までの暇つぶし」の好例です。

1. (京浜東北線の)七両目だけを残し、異常のない六両は(P.13):現在の10輌編成が1960年当時は7輌編成。運行開始の1914年(大正3年)の写真では2輌編成に見え、以後どのように編成車輛数が増えてきたのかについての情報を見つけたいものです。
2. 秋田行き急行「羽黒」(P.35):今西刑事と吉村刑事が上野から羽後本庄まで乗った夜行列車で上野21時00分発、上越線、羽越本線経由、羽後本荘翌7時46分着。各駅停車に乗り換えて羽後亀田9時53分着。
3. 19時44分発の急行(P.54):二人が羽後亀田から上野に戻る際に乗った夜行列車で、参照した時刻表では羽後本荘19時57分発、上野翌7時着。時刻表発行の1956年と本書執筆の1960年の間に出発到着時刻が変わったものと思います。
4. 黒部峡谷ダム(P.132):「大町にいま開発中」とあり、完成は1963年。
5. 東京発下り急行「出雲」(P.159):今西刑事が亀嵩を訪れるのに使った東京22時30分発の夜行列車で、亀嵩着は翌日の20時ごろと記載あるものの、警察署訪問の関係で松江17時10分下車、その日は松江泊となっている。時刻表では東京22時15分発、松江17時32分着とあり、先日訪ねた終点大社に18時25分着。
6. 名古屋22時20分発の上り準急(P.343):今西刑事が伊勢への出張から帰る時に乗った夜行準急列車。時刻表に準急は無く名古屋22時45分発の急行伊勢がこれに近い列車。当時の東京着の東海道本線夜行急行としてこの伊勢が東京着6時、急行さつまが6時25分、急行大和が6時47分、急行出雲が6時54分、急行瀬戸が7時10分、急行彗星が7時27分、急行筑紫が7時46分、急行明星が8時3分、急行安芸が8時23分、急行銀河が9時3分、急行月光が9時23分と、何と11本の夜行急行列車が東京駅に次から次へと滑り込む様子は華やかだったでしょうね。
7. (北陸本線の)大聖寺から山中温泉までの電車(P.362):1971年に廃止された北陸鉄道山中線、全長8.9km。2009年に尋ねた山中温泉で、「昔はここまで電車が来ていた」と説明されたことを思い出しました。
8. 大阪行きの急行(P.431):今西刑事が戸籍調査のために大阪へ行く時に乗った東京21時45分発の夜行列車で、「朝8時半に大阪駅に着いた」とあります。時刻表によれば急行さつま鹿児島行で大阪着は翌8時26分。
9. 八時半の上り急行(P.441):今西刑事が京都から戻る時に利用した夜行列車。時刻表で見つけたのは京都20時44分発の急行さつま。翌6時25分東京着。当時は夜行列車が長距離移動の主要手段だったんですね。
 
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ネアンデルタール人は私たちと交配した

スウェーデン出身で現在ドイツのマックス・プランク研究所のディレクタであるスヴァンテ・ペーボ博士による「ネアンデルタール人は私たちと交配した」、我々「ホモ・サピエンス・サピエンス」は、50万年前に共通の祖先から別れ3万年前に絶滅した「ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)」と交雑した証拠が我々の遺伝子に残っているというのが博士の研究成果です。

そこから生まれてくる疑問点として、数十万年の間に起きた進化の差により、我々とネアンデルタール人とを別亜種とするような変化が生じたが、今後の数十万年においても同様のことが起きると考えてよいのだろうか。進化とはどのような変化を指すのだろうか。1世代の進化は小さいものの、例えば10,000世代積み重なった進化の違いは認知可能なのだろうか。進化できた種と進化できなかった種とは共存できるのだろうか。共存すればあちこちで交雑が進むので、進化の差異は平均化するのだろうか。既に我々の中で進化の枝分かれが始まっているのだろうが、小生はどちらの枝に属しているのだろうか、などなど。まだまだ先の話なので心配することはありませんが、子孫たちは少々複雑な人間関係に悩まされるのかもしれません。

ネアンデルタール人は私たちと交配した

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季刊誌「横浜」 Vol.50

地下鉄の中吊り広告で見かけた季刊誌「横浜」を手に入れました。中は地図が満載で、特に1859年(安政6年)開港以降の横浜の歴史を地図を通して知ることができます。開港当時の様子を表した地図がP.5にある「武州横浜開港見分之図」。かなり埋め立ては進んでいるものの、現在の地形とは大きく異なるのでネットで調べたところ、次のことが分かりました。

横浜には湾が2つ、北側の湾は東海道と野毛山の間に、南側の湾は野毛山と山手の間に存在していた。

【南側の湾】

1600年代中ごろに埋め立てが始まり、1667年(寛文7年)に野毛新田が完成。以降埋め立てが続けられ、江戸末期までに現在の伊勢佐木町から関内にかけての一帯の埋め立てが完成、吉田新田と呼ばれた。
開港時点でも、遊郭があった現在の横浜スタジアム周辺には湿地が残り、その遊郭は、市街地の大半を焼き尽くした1866年(慶應2年)の大火で全焼し伊勢佐木町付近に移転した。

【北側の湾】

1707年(宝永4年)の富士山大噴火による火山灰が帷子川他の川から湾に流れ込み、船の航行に支障が出るようになったために新田開発が始まり、1800年代には岡野新田、平沼新田など、現在の町名につながる新田が完成した。
この湾は明治初期にも残っていて袖ケ浦という名前で呼ばれたが、1872年(明治5年)の新橋横浜間の鉄道開通にあわせて鉄道線路部分が埋め立てられ、それ以降も埋め立てが続き、現在の横浜駅周辺はその埋め立て地の上に位置する。

横浜

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「ドイツ帝国」が世界を破滅させる

エマニュエル・トッドさんによる「『ドイツ帝国』が世界を破滅させる」、帯には「現代最高の知識人」。中身は全8編のインタビュー記事で、鋭い質問を発してトッドさんの透徹した高説を引き出したインタビューアの力量も光っています。ただ後半の数編については、欧州の歴史、文化や政治に関する知識が前提となるので十分には理解できませんでした。

主編となる第1編「ドイツがヨーロッパを牛耳る」では、「ドイツというシステムは驚異的なエネルギーを生み出し得るのだということを認める必要がある」(P.30)と特に21世紀に入ってからのドイツの台頭を欧州の危機とし、「今日、二つの大きな先進的産業世界の存在を確認することになる。すなわち、一方にアメリカ、他方に新たな「ドイツ帝国」である。ロシアは第二次的な問題でしかない」(p.63)として冷戦後の構造についての従来の見方を改める必要性を示唆しています。

また、トッドさんはこの本の中で「真の権力中枢はメルケルでなくドイツ経済界」(P.140の見出し)と企業が国政を左右していることに触れています。TPP会合の現場に業界団体が押し掛けたとか、習近平が最近の米国訪問の土産として旅客機300機4兆5千億円分を注文したとか、VWの排ガス不正をEU規制当局が何年にもわたって握りつぶしていたとか、企業が世の中を動かしている、というか政治が企業献金目当てに重要政策を捻じ曲げるという現状はおかしいと思いますね。でも、経済的動物(エコノミック・アニマル)である人間が存在する限り、経済(人間の生活に必要な財貨・サービスを生産・分配・消費する活動。また、それらを通じて形成される社会関係。デジタル大辞泉より)的理由で諍いが起きることは不可避なんでしょう。

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日本外交の挑戦

田中均さんの「日本外交の挑戦」、外務省官僚の作法なのか著者の癖なのか、多くの文章が「…だろう」で終わる点が気になりましたが、小生としては次の2点が重要であると感じました。

1. 過去の断罪

「国際社会からの現在の日本の政権に対する猜疑心は、日本は過去の体制を明確に断罪していないのではないかというものである。すなわち、南京虐殺や慰安婦問題は戦前の日本の軍国主義体制が起こした行動であり、現在の日本の体制と全く相容れないはずであるのに、南京で虐殺された人数や慰安婦徴用に強制性がなかったと政府が拘ることで、日本は過去と決別していないのではないかとといった印象を生んでいる。」(P.100)。

それが現状なんでしょう。その状況を改善していくには、(1) 過去を冷静に分析し戦争責任を明確にすること、(2) 現在の日本は過去と決別した存在であり二度と侵略戦争は起こさないことを説明することしかないと思います。(1)については、天皇、軍部、マスメディア、国民それぞれの戦争責任を明確にすることで、世界の国々から上記の「印象」が時間と共に消えていくと思います。難しい課題ですが。

2. 国の立場

近隣諸国とはいろいろな領土問題を抱えていますが、中でも北方領土について「日本は北方四島を日本固有の領土として考えているが、日本への返還の具体的態様については柔軟に考えるというのが基本的立場である。」(P.172)とあって驚きました。四島一括返還に固執するのではなく、例えば北方四島の面積の二分化案でも受け入れるというのが国の立場であるということです。

外務省HPの「北方領土問題に関するQ&A」の冒頭に、政府の基本的立場は「我が国政府は、我が国固有の領土である北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)の帰属に関する問題を解決して平和条約を早期に締結するという一貫した方針を堅持しています。また、北方四島の我が国への帰属が確認されるのであれば、実際の返還の時期、態様については柔軟に対応する考えです。」とあります。本件に関してもいろいろな意見があるでしょうが、このような冷静な判断を日本が持つことで交渉が進んで欲しいですね。

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「ニッポン社会」入門

執筆当時英紙東京特派員だったコリン・ジョイスによる『「ニッポン社会」入門』の原題が「How to Japan」であることを知るだけで著者のユーモア感覚が伝わってくるというもので、日本の良いところ、気に入らないところ、英国についても同様に、日本滞在10年の経験を踏まえた指摘には大いに笑わされました。

この本でコリンさんは指摘していませんが、小生としては、「基本的コミュニケーション意識・技術の欠如」がこれから世界と付き合っていく上での日本人の課題だと思います。例えば、狭い歩道で自転車とすれ違おうと道を譲った時に、自転車氏はこちらの顔も見ず、挨拶もしないで通り過ぎていく。会話をする時でさえ相手の顔を見ない人が多い。これでは世界で通用しない、というか世界から変な人間だと思われる訳で、家庭でも学校でも子供の内からもっともっと教育すべきことの一つだと思います。でも、それを教える親や先生を先ず育成することが必要でしょうから、状況が改善されるには最低でも1世代30年はかかるでしょうね。

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葬式は、要らない

島田裕巳さんの「葬式は、要らない」を、ショッキングなタイトルに誘われて読んでみたのですが、戦後の核家族化や第一次産業人口減少などにより葬式は『明らかに簡略化に向かっていて、今や現実が葬式無用論に近づいている(P.153)』中で、島田さんが言いたいことは『最期まで生き切り、本人にも遺族にも悔いを残さない。私たちが目指すのはそういう生き方であり、死に方である。それが実現されるなら、もう葬式がどのような形のものでも関係がない。生き方とその延長線上にある死に方が、自ずと葬式を無用なものにするのである。(P.183)』という穏当なものでした。

島田さんは、葬式に関して悩ましいのは「戒名」と「墓」と指摘しますが、戒名については、山田風太郎の「風々院風々風々居士(P.163)」、宮脇俊三の「鉄道院周遊俊妙居士(P.166)」の例もあるように、暇つぶしの対象を戒名に仕立てるのも暇つぶしとしては面白いだろうし、戒名なしでもすっきりしているし、この問題は小生にとって大問題にはならない気がします。

墓については、歩いて10分ほどの所にある横浜市営墓地に祖父母時代からの墓があり、小生、弟夫婦はそこに入るのでしょうが、二人の子供4人の内3人は娘なので、息子1人に墓の維持管理を任せるのは大変かもしれません。とはいえ、息子の子供が男子とは限らないので後50年もしたら無縁化するかもしれないし、でもそんなことは何千年、何万年の人類の歴史では頻繁に起こってきたことだろうし、今から考えても仕方がないと思えばこの問題も大問題にはならないので、結局は「悔いを残さないように生き切る」ことが大事なことであり、言い換えれば「一生懸命に暇つぶしする」ということでしょうね。これならできそうです。

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百匹目の猿

高名な経営コンサルタントだった船井幸雄さんによる「百匹目の猿」は、イギリスの生物学者ライアル・ワトソンが1979年出版の「生命潮流」で述べた「百匹目の猿現象」を利用すれば「いまピンチに瀕している地球や人類を救うことも可能になる(P.7)」と説くものです。

「百匹目の猿現象」とは、宮崎県幸島(こうじま)の猿が覚えた「芋洗い(汚れた芋を水で洗って食べる)」という行為が、ある一定数の猿に学習されたのちに、遠く離れた大分県高崎山の猿に自然に伝わったという発見で、この現象は、同じくイギリスの科学者ルパート・シェルドレイクによる仮設「形の場による形の共鳴(生物の形や行動パターン、さらにこの世界の物理的なシステムは、『形の場』の成立とその『共鳴』によって、過去にそうであった形態にみちびかれ、それを継承している、という考え)(P.32)」によって説明可能としています。

ここまで読んできて「本当かいな」と感じ、ネットで調べてみると「百匹目の猿現象はライアル・ワトソンが創作した物語である。疑似科学又はオカルトに分類されている(Wikipedia)」とあるではありませんか。船井さんが言いたいことには賛成できることが多いのですが、それが自然と人に伝わるというのは、以上の理由で無理があるようです。やれやれ。

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宇宙になぜ我々が存在するのか

村山斉さんによる「宇宙になぜ我々が存在するのか」、人間の存在を化学的にあるいは生物学的に解説するのかと思いきや、「宇宙は何でできているのか」、「宇宙は本当にひとつなのか」、「村山さん、宇宙はどこまでわかったんですか?」を書いた方だけに、当然のことながら素粒子論的解説でした。

宇宙には、目に見えるものを構成する「物質」と、電気的性質が対称である「反物資」とがあり、いずれも宇宙誕生直後のビッグバンの中で「対生成」により同数生まれたはず。その後、物質と反物質とが出会うと「対消滅」というプロセスにより質量全てがエネルギーに変換されてしまうので、結果として宇宙には物質も反物質も残らないことになるのですが、「物質」で成り立つ我々は、依然としてこの宇宙に存在する。著者はこの理由を、ニュートリノが反物質の一部を物質に変えたためにバランスが崩れて物質が残ったと考え、その現象を見つけるための実験を続けているそうで、この本が書かれた2012年から既に3年が経過しているので某かの進展があったかもしれません。

宇宙になぜ我々が存在するのか

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深夜特急 6 南ヨーロッパ・ロンドン

「深夜特急 6」、最後の巻です。行程はイタリアからフランス、スペイン、ポルトガル、フランス、そしてイギリス。沢木さんはポルトガルで最西端のサグレスに出かけたのですが、小生の1972年の旅ではリスボンの北のナザレを訪問しました。岬とか港町とか、日本人は海が好きなのかもしれません。

さて、中国原産の茶、頭文字「c」がトルコまでは「c」なのに、ギリシャに入ると「t」に代わり、例えば英語の「tea」、ドイツ語の「tee」、スペイン語の「te」と続くものの、西の果てポルトガルで再び「cha」と「c」に戻っていることを発見した沢木さんは、その喜び、驚きを記していますが(P.162 他)、Wikiに頭文字の違いの理由が書いてありました。

『世界で茶を意味する語の起源は、「チャ」系統のものと「テー」系統のものがある。(中略)中国語の北方語や広東語では、茶は「チャ (cha)」と呼ばれている。モンゴル語、ウイグル語、ヒンディー語、トルコ語、ペルシャ語、ロシア語などでは「チャイ」系統の音で呼ばれ、これらは中国から伝播したものと考えられる。(中略)これに対して西欧の多くの国では「テー」系統の発音が用いられている。これは、福建南部から台湾にかけて用いられている閩南語のテー (te) に由来すると考えられている。17世紀に茶を中国からヨーロッパに持ち込んだオランダ人経由でヨーロッパに広まった。(中略)福建語からマレー語にはいり、オランダ語はマレー語から借用したと考えられている。(Wikipediaから引用)』

深夜特急 6

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深夜特急 2 マレー半島・シンガポール

沢木耕太郎さんの深夜特急を4「シルクロード」、5「トルコ・ギリシャ・地中海」、3「インド・ネパール」、1「香港・マカオ」と読み進んで、今回は2「マレー半島・シンガポール」。西へ向かったり東に戻ったりするので、西に向かう際の興奮が一気に押し寄せる訳ではありませんが、「1972年世界一周旅行」の追体験できるのが嬉しいですね。

沢木さんがこの旅に望んだのは「執行猶予」であったと、次のように書いています。『(旅に出るために仕事の依頼を断ることで)ジャーナリズムに忘れ去られることなど少しもこわくはなかった。私には未来を失うという「刑」(なりたくはない職業的な書き手なってしまうという刑)の執行を猶予してもらうことの方がはるかに重要だった。執行猶予。恐らく、私がこの旅で望んだものは、それだった(P.175)』

これ分かりますね。小生の場合は、3年が終わって就職活動をして翌年には社会人となることが堪えられなくて、1年休学して西に向かい、更には2年間の執行猶予で修士課程に進んだのですが、結局は刑は執行され、でも住めば都で会社生活を楽しめたし、会社を終えれば木工だ、ギターだ、畑だと遊びには事欠かず、「決して猶予してもらえない刑」が執行されるまで、それぞれの世界の仲間と一緒に「暇つぶし」を楽しみます。

マレー半島、シンガポール

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深夜特急 1 香港・マカオ

沢木耕太郎さんの「深夜特急」、第4巻「シルクロード」から読み始め、第5巻「トルコ・ギリシャ・地中海」へと進み、第3巻「インド・ネパール」と東に戻って今回は第1巻「香港・マカオ」。沢木さんは余程マカオのギャンブルに想い出が詰まっているようですが、ギャンブル嫌いの小生から見ると、第1巻(文庫本)全205ページ中、ギャンブルにまつわる部分が66頁と1/3を占める点は些かバランスを欠いていると感じました。

沢木さんがこの旅に出たのは1974年、単行本第1巻が出版されたのが1986年と大分時間が経っています。旅行中のメモや写真がいくら残っていても、ここまで書けるものかと心配になりましたが、深夜特急の原型となった香港紀行を1975年か1976年に月刊誌に書いたそうで、また第4巻の巻末の対談で「虚構の『深夜特急』の旅を17年かけて旅した」と書いています(P.239)。

このブログが17年続いたら、17x365=6,205件の記事を縦糸に、小生の想いを横糸に、何か書けそうですね。でも、あと10年か。

深夜特急第1巻

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残夢三昧・日没閉門

久しぶりの内田百里如峪通柑伊罅ζ没閉門」を読みました。多くの篇が1968年(昭和43年)、1969年(昭和44年)ごろ月刊誌に掲載された作品で、1971年(昭和46年)に81歳で亡くなる数年前、左ひざの調子が悪く外出もままならず、家で寝ていることが多かった時代のものです。

書名のとおり寝床で「残夢」を見たり、客との面会が億劫なので「閉門」したり、でも人生で蓄積した経験や知恵を素材にして小さくとも玉のような作品に仕立て上げる、内田百里覆蕕任呂両己圓任△佞譴討い泙后C罎任盖い貌ったのは「白日の夜襲(P.256)」。亡くなる略1年前の百里篭瓩の床屋に家まで来てもらって散髪してもらうのですが、その様子をユーモアたっぷりに描く。ブロガーにとっては理想とすべき姿で、寝床から出なくても毎日ブログを投稿できるよう、経験と知恵を積みあげなくては。

残夢三昧・日没閉門

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深夜特急 3 インド・ネパール

第五巻トルコ・ギリシャ・地中海に続いては東へ戻って第三巻のインド・ネパール。ここでの沢木さんの旅程はインドから陸路ネパールへ、そして再びインドへ。最初のインドではカルカッタからパトナ手前のキウルまでの11時間に及ぶ3等車輛の旅が描かれていて(P.73以降)、中でも荷物棚こそが3等では最高の座席というのはインドならあり得そうな話です。

小生の場合は、ネパールから空路到着したパトナを、SLが引くDelhi Expressで出発し、快適な2等寝台車でニュー・デリーまで22時間近くかけて移動したのですが、この列車内の体験からパトナ駅前で英国人に「3等はやめておけ」と忠告された訳を理解できました。でも若かったのだし、3等も経験しておけばよかったかなと今になって思います。

深夜特急 3 インド・ネパール

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