家内の身の回り品の中から「My エンディングノート」なる小冊子が見つかりました。生活クラブ関係の組織が作ったもので定価は500円。残念ながら何も書かれていません。
遺産の把握やメンバーシップ解約などをボチボチ進めている「残された家族」にとっては、ノートにいろいろな情報が書かれていれば助かったのにと感じます。子供たちのために、小生は勿論作るつもりです。
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ボールペンや定規が足元に時々落ちるので調べるとポケットに穴が開いていました。帰宅早々に家内の裁縫箱の中から針と糸を取り出し、ポケットの穴を塞いだのがこの写真。縫い跡がくねくねしていますが、穴は塞がったし、これで良しとします。
小学校の家庭科で運針を習いましたが、それから60年間、母親と家内におんぶにだっこで過ごしてきました。これからは軽めの裁縫ができるようにならなければ。
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家内の身の回り品の整理で財布から出てきたのは2枚のSuica。何故2枚持つことになったのだろうか。
地下鉄駅に出かけて履歴を印刷し闘病記録と見比べると、最終利用は左側が発病前の2018年から2019年にかけて、右側は闘病中の2020年から2021年と思われます。右カードの残高が4000円以上あったので小生が利用することとしました。
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長い距離を歩けなくなってからの家内は居間のソファーに座ってTVを見たり友人と長電話することが多かったように思います。久しぶりにTV番組録画を見たところ、最後の入院となった6月27日以降のテレビ体操、英会話フィーリングリッシュ、連続テレビ小説が録画されていました。
入院前の家内はテレビ体操を見ながら、再び長い距離を歩きたいと体操していたし、英語も上手く喋れるようになりたかったんでしょう。
見て欲しい番組を相方に残すことも録画の理由となりますが、45年間一緒に生活した家内亡き後は、録画を残す相手がいなくなったという、何やら片肺飛行のような気持になります。
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家内の衣類を中心とした身の回り品の整理に娘が来てくれて、衣類で一杯となった45Lのゴミ袋5袋は資源ごみ(古布)として出します。それでも家内の寝室の箪笥一棹分で、娘によれば整理にはもう一日かかりそうとのこと。お疲れさまでした。
玄関収納(写真)に残るのは、娘家族が使うもの、あるいはメルカリで処分するもの。小生の衣類についても、今となっては身に着けることがなくなったジャケット、コート、マフラーなどの断捨離を進めなくては。
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5月頃から食べられるのは玉子かけご飯を少々となったために、先生にお願いして処方していただいたのが栄養剤「エンシュア」。家内によれば「不味くて飲みにくい」と大分残してしまったエンシュアを、母親がお世話になっていた老人ホームで活用していただけることとなり、先日届けてきました。
その際、施設の方に「小生もお世話になるかもしれません」と伝えたところ「未だ早い。それより入居者が集まる会でギター伴奏して欲しいし、子供向けのイベントで木工を楽しみたい」とのリクエストがあり、前向きに対応することになりそうです。
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居間兼食堂においてある食器棚の中にはドイツと米国駐在時代に家内が手に入れた食器を中心に、小生の木工作品も陳列しています。食器棚の下には皿をしまってありますが、いずれも最近は食器棚から出る機会が殆どありません。
他の食器格納場所も食器で溢れていて、これからの一人暮らしに向けた大胆な断捨離が必要です。例えば、飲みものは小生が用意し、お客さまには食べものを持って来ていただくという小宴会を開催し、その際に木工作品をお客様にプレゼントするというアイデアはどんなもんでしょうか。既に2グループほどには賛同いただいています。
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台所の壁に磁石がくっつくボードが取りつけてあり、そこにカレンダー、メモ、タイマー、筆記用具などをつけておくのが家内の流儀でした。メモとしては、入院中の食材一覧、作ってみたい料理のレシピ、パン焼き機への材料投入量など。
数週間に亘る入院の際にはこの「入院中の食材一覧」を参考に長男と手分けして夕食を準備しました。残された者たちの最大の課題、先ずは夕食作り、加えて掃除、洗濯、アイロン掛け、植木の手入れでしょうか。試練の時の到来です。
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最近は撮った写真をコンデジやスマホに、あるいはネット上に保存できるので印刷することが少なくなりましたが、家内が闘病中に想い出を見える形で残そうと作り始めたのがこのアルバム。抗がん剤治療が一段落して体調の良い時に出かけた旅行の写真が中心で、残された家族にとって素晴らしい置土産となりました。
家内は亡くなる2か月前あたりから身辺整理に時間を使うことが多くなり、着そうもない衣類や古い書類などを処分していて、その際に見つけた発病前の写真もこのアルバムに貼ってあります。
忘れもしない6月12日、2008年5月(このブログを始める前)に家内と車で出かけた信州旅行の写真の1枚を指差し「遺影はこの写真にしてくれる」とご下命があり、勿論のこと、そのとおりにさせていただきました。
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家内は朝晩写真の体温計、酸素濃度計、血圧計で体調をチェックし、その日に食べられたものなどと一緒にノートに記録していました。最後のノートは2023年2月9日から始まっていて、その頃の最高血圧は130台、3月に入ると120台、4月は100から110台、5月は100前後、6月に入ると90台でした。担当医師によれば心臓の臓器不全とのことで、亡くなる数日前の最高血圧は70台、前日は50台でした。
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身罷る1週間ほど前からLINEメッセージが既読になるまで時間がかかるようになり、数日前から返信が来なくなりました。家内のスマホを確認したところ入力しかけの小生宛メッセージが残っていました。
「早く車 一緒に乗りたい シンプル 専用も聞いてください」。朦朧とした状態で入力したのでしょう、一部意味不明ですが、「早く車 一緒にのりたい」は将来への希望を感じさせます。残念です。
LINEやメールが入院中の家内との連絡手段として活躍してくれました。暫くしたら電話を解約しますが、家内のスマホの中に残っているメッセージや写真も多く、このスマホを小生の第二のスマホとしての手許に残すこととします。ネット空間に残った情報を完全に消し去ることは難しいですね。
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家内の最後の入院は6月27日(火)から7月9日(日)。6月に入り2階寝室への上がり降りが大変になったので地域ケアプラザに相談して介護認定手続きを進めたところ、家内入院中に届いたのがこの新しい保険者証。中には「要介護1」と書かれていますが、介護保険を利用することはありませんでした。
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家内の想い出の品を順番にご紹介します。先ずはアコギ「Takamine DSP670NC」(写真右側。左は小生のYAMAHA LL16)。このTakamineの特徴はナイロン弦を張るということ。
小生がギターを始めた2012年秋から遅れること数年、ギター練習を始めたいということで、指先が痛くなりにくいナイロン弦ギターを選び、近所の仲間数名で作るSFCなるユニットに参加し、近くの地域ケアプラザで何回か演奏しました。
このギターを小生も使いたいと、Takamineに「ナイロン弦に代えてスティール弦を張れるか」聞いたところ、「ナイロン弦専用モデルなのでスティール弦だとネックやボディーが変形する恐れあり」との回答。ナイロン弦の音色が必要な曲で使うこととします。
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