幅40cm、奥行き7cmの細長い皿の拭漆も完了。見込みだけ拭漆、裏側はクルミオイルにしたので、色の変化も楽しめます。お客様用として、小さな和菓子をいくつか載せるといった使い方を想定しますが、わが家の客層にはちと上品すぎるかもしれません。
(この他の記事はこちらから検索できます)
箱根登山鉄道のモハ1形は今年3月に小さな列車の家族に加わりましたが、自動車ニュースサイトResponseには珍しい鉄道関係記事によれば、本物は以下のとおり、とうとう引退したようです。
『モハ1形はもともと大正時代に登場したチキ1形と呼ばれる木造電車で、1950年の小田急電鉄の乗入れに際し、小田原 - 箱根湯本間の架線電圧を1500Vに昇圧(小田急は1500V、箱根登山鉄道は当時600V、現在は750V。なおResponseの記事には「小田原 - 箱根湯本間は複電圧化された」とあったが「箱根登山鉄道車輛は複電圧対応された」の間違いと思われる)。加えて小田急の軌間は1067mm、箱根登山鉄道は1435mmなので小田原 - 箱根湯本間は3線軌条化された。1950年に車体の鋼体化と複電圧化が実施され、1952年にはチキ1形からモハ1形に形式名を変更、1993年には103+107編成と104+106編成が2輌固定編成化された。
104+106編成は2007年までにモーターから継手を介して車軸を駆動させる近代的な「カルダン方式」に改められ、103+107編成のみが大正時代以来の「吊掛け式」として残っていたが、7月20日限りで引退。引退後は小田原市内にある「鈴廣蒲鉾本店」で店舗の一部として活用される見込み』
(この他の記事はこちらから検索できます)
7月3日に入院、11日に始まった最初の治療サイクルの検査結果が出て一時退院できることになりました。しかしながら退院の期間は短く、7月31日に再入院、翌8月1日から2サイクル目の治療開始。薬の副作用が少ないことを祈ります。
さて、病院食が3週間を超えた家内が寿司を食べたいということで、木工の帰りに銚子丸で寿司を調達し冷蔵庫で保管しておいたものの、日が暮れて食べ始めたころには鮮度が落ちていて、感激は今一つ。治療と並行して、外食ができるくらいの体力維持が重要であることを改めて認識しました。
(この他の記事はこちらから検索できます)
この半世紀、針仕事は全て母と家内に頼んできたように記憶しますが、家内の裁縫箱から久しぶりに針と糸を取り出すこととなりました。理由は単純で、ズボンのポケットからボールペンが落ちるので確認してみると、数年前に家内に修理を頼んだ部分に再び穴があいているのを発見したからで、命の次に大事なボールペンのために何十年かぶりの針仕事となった次第。
しかしながら、布という柔らかい素材の加工は、木工に馴れた小生にとって繊細過ぎて難しく、針仕事を暇つぶしの一つに加えることは無さそうです。
(この他の記事はこちらから検索できます)
3か月ほど前に彫り終えたカシワの葉を模した皿、ようやく拭漆を始めて6回、裏に「すうさんマーク(半田ごてに付けたM6ナットの焼き印)」を押して完成です。この手の木工が想像していた以上に楽しいと知ったことが今回の収穫でしょうか。
(この他の記事はこちらから検索できます)
近所の自治会館で開催の「ふれあいっこ三ツ沢(子供食堂)」で子供10名と大人数名が楽しんだのはペン立て作り。手順は、まず好きな形の端材を選び、設計図を書いて、墨付けし、ボール盤、鋸で加工し、サンディングした上にポスカで色をつけて完成。名前を彫りたいとのことで急きょトリマー加工も加わり、蒸し暑い屋外作業で大汗をかきました。
できあがった作品と一緒に、今日は野菜天ぷらそば、おにぎり、コーヒーゼリーの昼食。ペン立て作りは好評で、また来年もとの声が出ましたが、次回何を作るのか悩ましい。
(この他の記事はこちらから検索できます)
抗がん剤治療は決まった日数を何回か繰り返しますが、国立がん情報センターのHPではその「回」のことを「クール」とも呼ぶとあったので調べたところ、英語の cool には「回」の意味はなく、フランス語の cours ではないかと。発音は「クール」に近く、意味は「コース」。連続TV番組の一塊もクールと呼ぶようなので、これが語源なか。和製仏語かもしれない。
ドイツ語の Kur ではないかとの説もありましたが、発音は「クア」であり、意味は「療治、療法」で英語の cure と同じ。日本語発音を適当に当てはめると dating machine をダッチング・マシンと呼ぶような可笑しなことになるので要注意。
(この他の記事はこちらから検索できます)
5月初めに卒業した農作業ですが、ボランティア仲間が集まって暑気払いするとのことで、家内を見舞った後、大口駅近くの「きたはち」まで遠征。いつもの如く焼酎ロックで良い調子になっていたら、農家の台所を借りて漬物、ジャムなどを製造している女性陣が取り出したのは糖度計。何でもBrix糖度計と呼ぶそうで、青い部分に糖分を含む水を置いて蓋を閉め、後ろ側から覗くと糖度が分かるという優れもの。製造した食品については毎日の糖度や塩分濃度の変化を記録することが県の指導により義務づけられているそうです。
さて、Brix糖度計、糖分を含む水は真水よりも屈折率が大きくなることを利用していることが分かり、更に調べてみると、実は糖度を測っている訳ではなく「濃度」を測っているので、糖分濃度と同じ塩分濃度の水でも同じ値を表示するそうです。現実的には糖分のみを含む水を測るので、問題はないでしょうが、食品製造もなかなか大変です。
(この他の記事はこちらから検索できます)
家内のベッドの前の方が抗がん剤の注射を受ける際に腕やパジャマにこぼれ、腕は消毒、パジャマは着替えと大騒ぎになったそうです。ネットで調べると「抗がん剤には、がん細胞を殺滅させる一方で変異原性(生物の遺伝情報(DNAの塩基配列あるいは染色体の構造や数)に不可逆的な変化を引き起こす性質)、発がん性、催奇性(生物の発生段階において奇形を生じさせる性質や作用)等の有害な作用もあることが知られている(カーディナルヘルス社のHPより、括弧内は筆者追記)」とあり、医療従事者が抗がん剤に曝されることが大きな問題となっているそうです。
そんな劇薬を注射される訳なので、「正常な細胞でも、分裂速度の速い血液細胞や口腔(こうくう)粘膜、胃腸粘膜、毛根の細胞などは、抗がん剤の作用の影響を受けやすく、感染しやすくなったり(白血球減少による)、貧血・出血・吐き気・口内炎・下痢・味覚の変化・脱毛・皮膚の障害・爪の変化などの症状が副作用として現れます。また、心臓、腎臓、膀胱(ぼうこう)、肺や神経組織の細胞が影響を受けることや、生殖機能に影響がおよぶこともある。これらの副作用のうち、最も頻繁に現れる副作用は、(1) 吐き気、(2) 脱毛、(3) 白血球減少の3つ(国立がん研究センターHPより)」も已む無しの感じがします。どれもこれもリンパ腫を治療するための試練です。
写真は分子標的薬リツキシマブの袋。危険な薬のようでHazardous drugsと書かれたビニール袋で覆われています。
(この他の記事はこちらから検索できます)
平朝彦博士による「日本列島の誕生」、1990年初版、2015年に第30刷発行というロングセラーを通読して、太平洋プレート、フィリピン海プレート、北アメリカプレート、ユーラシアプレートの4枚のプレートがぶつかり合う場所に位置する現在の日本列島は、次のように誕生したと理解しました(プレートとは、地球の表面を覆う厚さ数十kmの岩盤で、直下にある上部マントル層(深さ670kmまで)の動きに応じて夫々年間数cmの速さで一定の方向に移動している)。
1. 遥か南方にあったインドプレートが北上、4000万年前にユーラシア
プレートに衝突し、その下に沈み込み始めたため、ユーラシアプレートの
南部が持ち上げられエベレスト山脈やチベット高原などができあがった。
2. その衝突とは別に、地下のマントル上昇により、3000万年前ごろから
東アジアの東縁で広域的に分裂が起き、アフリカ大地溝帯に匹敵するような
大地溝帯ができつつあると認識されている。
アフリカ大地溝帯とは、マントル上昇によりアフリカ大陸東側に出現した
地溝帯で、数百万年後にはアフリカ大陸そのものが大地溝帯部分で分裂すると
考えられている。
3. 以上の2つの大きな動きに応じて東アジアの大陸地殻が分裂した結果、2000
万年前には入海ができ始め、1500万年前までには2000〜3000mの水深を持つ
日本海ができあがった。
4. 1400万年前に日本海の拡大は完了し、日本列島が誕生。しかしながら、この
時点で中部日本から東北日本にかけては殆ど水中にあり、東北日本では水深
1500mの海底における火山活動により、現在の奥羽山脈が生まれた。
5. その後、伊豆・小笠原弧が本州へ衝突したり、沖縄トラフ(南西諸島大陸側に
分布する海盆)が生まれたり、日本海側が褶曲したり、日本列島が隆起したり
して現在に至る。
6. 陸地の変化に加えて海面も上下した。12万年前の最後の間氷期の海面最大
上昇期には関東平野のほぼ全域に海が広がり、2万5千年前の最終氷期に海面は
現在より120メートル低く、津軽海峡、対馬海峡は陸続きとなり、現在の
東京湾には大きな川が集まってできた古東京川が流れていて、6000年前の
縄文時代には海面が現在と比べて2〜4m高くなり関東平野の中心部が水没した。
さて、最も印象的だったのは「東名高速に沿って海溝地形をみる(P.184)」と題する部分で、東名高速を東京から西に向かうと厚木インターまでは前弧海盆の平坦面、厚木を超すと前弧隆起帯である丹沢山系が迫ってきて、大井松田インターチェンジでは小田原平野が目の前に開け、国府津 - 松田断層沿いの付加体前面部の急崖に至るなど、陸に上った海溝と海盆を観察できる、という地質学者らしい観察。
更に「東京が、プレートテクトニクスから考えると、世界で最も活動的な場所の一つに位置していることを意味しているものの、このことについて、どれだけ多くの人が明確な認識をもっているでしょうか。大井松田インターチェンジの近く、プレート境界の大断層(国府津 - 松田断層)の真上に生命保険会社の高層ビルが立っているのは、私には東京の運命を象徴していように思えてなりません」というくだり。
残念ながら、本書に記載されている内容は1990年前後と30年も前の調査・研究の成果であり、最終章の最後の部分に「私たちの新たなる挑戦が始まっています(P.224)」と書かれていることでもあるので、平博士には是非、「新たなる挑戦」の成果を岩波新書「続 日本列島の誕生」としてまとめていただきたいですね。
(この他の記事はこちらから検索できます)
この4月に幼稚園の年中となった孫の「すずちゃん」、赤ちゃんだと思っていたら、娘からLINE動画が届いて、幼稚園の体操教室で縄跳びを披露していました。最近まで飛べなかったそうですが、自宅での猛練習が実ったようです。子供は成長し、高齢者は不自由となる、それが生き物の定め。
(この他の記事はこちらから検索できます)
木遊びメンバーの「キタさん」が使っていたクランプが優れものなので、木遊びでも揃えておこうとRSコンポーネンツ社にネットで4個を注文。受注のメールが届いて先ず在庫の1個を、続いて数日後に入荷次第残りの3個を送ると連絡がきたので、数日後で結構なのでまとめて送ってくださいと連絡したところ、弊社はお客様に一刻も早く商品を届けたいのですと丁寧な返信があり、写真の1個が届きました。
さて、最も大事なの値段。このクランプ(モデルはKLI30)、Amazonでは3750円(送料込み)、オフでは4180円(送料別途)と高かったのでeBayを見ると欧州では€20(2500円)程度で売っていることが分かり、輸入しようか迷っていたところ見つけたのが今回のRSコンポーネンツ社で、4個だと送料無料となり1個あたり2608円。魅力的な価格と丁寧な顧客対応。素晴らしい会社との出会いでした。
(この他の記事はこちらから検索できます)
いろいろな検査の結果を踏まえて家内の治療が始まりました。最初の5日間は輸液と飲み薬、残り16日間は検査結果次第で自宅に帰ることができるかもしれないという合計21日間を1サイクルとする治療を8サイクル、ということは治療開始が7月11日だったので全て終えるのは何と12月25日のクリスマス。枕元にある収納の扉に貼った、孫娘すずちゃんが書いたババの顔の絵を見ながら、じっくり治療して、良くなってください。
(この他の記事はこちらから検索できます)
7月の保育園での出前木遊びに向け、列車に続いてバス10台、小型車7台、中型車9台の合計26台を制作中。今回は列車や車の写真を用意して園児たちとの会話を楽しもうと思う。例えば次のように質問したら、どんな答えが返ってくるのだろうか。
・どんな列車に乗ったことがありますか
・どこに行く時に乗りましたか
・乗ってみたい列車は何という名前ですか
・列車にはどんな種類がありますか
・電気機関車、ディーゼル機関車、蒸気機関車を知っていますか
・電車や電気機関車は何を使って走るのか
・ディーゼル機関車は、蒸気機関車は
・家の車の名前を教えてください
・誰が運転しますか
・どこに行く時に車に乗りますか
・車は何を使って走るのか
(この他の記事はこちらから検索できます)
家内の病室は6人部屋で、天井の照明が明るく、隣の方の鼾と咳がうるさいく熟睡できないとのことで、木遊びの帰りにアイマスクと耳栓を手に入れて病院へ配達。翌日感想を聞いたら「お陰様で熟睡できた」とのことで、良かった。
最近退院したギター仲間のAさんから、辛いときは個室がお勧めと言われ、逆に、長期入院経験をお持ちの木遊び管理人の幸兵衛さんからは一人きりでは気持ちが暗くなりがちなので大部屋がお勧めと言われましたが、今のところ、同じ部屋のご婦人たちとの会話を楽しめているようで、大部屋の良さの方が勝っている感じです。
(この他の記事はこちらから検索できます)
家内が入院しました。朝10時過ぎに病院に到着、諸手続きを終えて病室へ。同じ病院に入院中のギター仲間のAさんに連絡したら、一緒に昼飯にしましょうということになり、院内の食堂で待ち合わせ。家内は食欲旺盛で和風ハンバーグ定食、Aさんはハヤシライス、小生はカツカレー、お喋りを挟んで食後はコーヒー、紅茶と楽しんで解散。Aさんはこの日の午後の退院が決まったそうで、目出度し、目出度し。
病院が用意してくれた昼食、これが病院食の初回となる筈でしたが、残念ながら生姜焼きは返却となりました。この後の夕食では、箸とスプーンは持参しなくてはならないと分かり、翌日病院へ持参。入院の作法は難しい。
(この他の記事はこちらから検索できます)
⇒ すうさん (11/19)
⇒ Raiji (11/19)
⇒ すうさん (08/29)
⇒ 藤森博之 (08/29)
⇒ すうさん (07/10)
⇒ ショコ父 (07/10)
⇒ すうさん (06/24)
⇒ すうさん (06/23)
⇒ 北川 忠弘 (06/23)
⇒ すうさん (04/06)