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季刊誌「横浜」 Vol.50

地下鉄の中吊り広告で見かけた季刊誌「横浜」を手に入れました。中は地図が満載で、特に1859年(安政6年)開港以降の横浜の歴史を地図を通して知ることができます。開港当時の様子を表した地図がP.5にある「武州横浜開港見分之図」。かなり埋め立ては進んでいるものの、現在の地形とは大きく異なるのでネットで調べたところ、次のことが分かりました。

横浜には湾が2つ、北側の湾は東海道と野毛山の間に、南側の湾は野毛山と山手の間に存在していた。

【南側の湾】

1600年代中ごろに埋め立てが始まり、1667年(寛文7年)に野毛新田が完成。以降埋め立てが続けられ、江戸末期までに現在の伊勢佐木町から関内にかけての一帯の埋め立てが完成、吉田新田と呼ばれた。
開港時点でも、遊郭があった現在の横浜スタジアム周辺には湿地が残り、その遊郭は、市街地の大半を焼き尽くした1866年(慶應2年)の大火で全焼し伊勢佐木町付近に移転した。

【北側の湾】

1707年(宝永4年)の富士山大噴火による火山灰が帷子川他の川から湾に流れ込み、船の航行に支障が出るようになったために新田開発が始まり、1800年代には岡野新田、平沼新田など、現在の町名につながる新田が完成した。
この湾は明治初期にも残っていて袖ケ浦という名前で呼ばれたが、1872年(明治5年)の新橋横浜間の鉄道開通にあわせて鉄道線路部分が埋め立てられ、それ以降も埋め立てが続き、現在の横浜駅周辺はその埋め立て地の上に位置する。

横浜

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| すうさん | 08:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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