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日本列島の誕生

 

平朝彦博士による「日本列島の誕生」、1990年初版、2015年に第30刷発行というロングセラーを通読して、太平洋プレート、フィリピン海プレート、北アメリカプレート、ユーラシアプレートの4枚のプレートがぶつかり合う場所に位置する現在の日本列島は、次のように誕生したと理解しました(プレートとは、地球の表面を覆う厚さ数十kmの岩盤で、直下にある上部マントル層(深さ670kmまで)の動きに応じて夫々年間数cmの速さで一定の方向に移動している)。

 

1. 遥か南方にあったインドプレートが北上、4000万年前にユーラシア

  プレートに衝突し、その下に沈み込み始めたため、ユーラシアプレートの

  南部が持ち上げられエベレスト山脈やチベット高原などができあがった。

2. その衝突とは別に、地下のマントル上昇により、3000万年前ごろから

  東アジアの東縁で広域的に分裂が起き、アフリカ大地溝帯に匹敵するような

  大地溝帯ができつつあると認識されている。

  アフリカ大地溝帯とは、マントル上昇によりアフリカ大陸東側に出現した

  地溝帯で、数百万年後にはアフリカ大陸そのものが大地溝帯部分で分裂すると

  考えられている。  

3. 以上の2つの大きな動きに応じて東アジアの大陸地殻が分裂した結果、2000

  万年前には入海ができ始め、1500万年前までには2000〜3000mの水深を持つ

  日本海ができあがった。

4. 1400万年前に日本海の拡大は完了し、日本列島が誕生。しかしながら、この

  時点で中部日本から東北日本にかけては殆ど水中にあり、東北日本では水深

  1500mの海底における火山活動により、現在の奥羽山脈が生まれた。

5. その後、伊豆・小笠原弧が本州へ衝突したり、沖縄トラフ(南西諸島大陸側に

  分布する海盆)が生まれたり、日本海側が褶曲したり、日本列島が隆起したり

  して現在に至る。

6. 陸地の変化に加えて海面も上下した。12万年前の最後の間氷期の海面最大

  上昇期には関東平野のほぼ全域に海が広がり、2万5千年前の最終氷期に海面は

  現在より120メートル低く、津軽海峡、対馬海峡は陸続きとなり、現在の

  東京湾には大きな川が集まってできた古東京川が流れていて、6000年前の

  縄文時代には海面が現在と比べて2〜4m高くなり関東平野の中心部が水没した。

 

さて、最も印象的だったのは「東名高速に沿って海溝地形をみる(P.184)」と題する部分で、東名高速を東京から西に向かうと厚木インターまでは前弧海盆の平坦面、厚木を超すと前弧隆起帯である丹沢山系が迫ってきて、大井松田インターチェンジでは小田原平野が目の前に開け、国府津 - 松田断層沿いの付加体前面部の急崖に至るなど、陸に上った海溝と海盆を観察できる、という地質学者らしい観察。

 

更に「東京が、プレートテクトニクスから考えると、世界で最も活動的な場所の一つに位置していることを意味しているものの、このことについて、どれだけ多くの人が明確な認識をもっているでしょうか。大井松田インターチェンジの近く、プレート境界の大断層(国府津 - 松田断層)の真上に生命保険会社の高層ビルが立っているのは、私には東京の運命を象徴していように思えてなりません」というくだり。

 

残念ながら、本書に記載されている内容は1990年前後と30年も前の調査・研究の成果であり、最終章の最後の部分に「私たちの新たなる挑戦が始まっています(P.224)」と書かれていることでもあるので、平博士には是非、「新たなる挑戦」の成果を岩波新書「続 日本列島の誕生」としてまとめていただきたいですね。

 

日本列島の誕生


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| すうさん | 08:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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